「建礼門院右京大夫集」は、私家集というより、女流日記文学の趣きのある作品です。後半は悲劇の連続ですが、前半はイケメンがたくさん登場する「青春キラキラ物語」です。その落差が後半の悲劇を際立たせます。そこで、悲劇の前に前半にある平重衡と平維盛の”キラキラ”したエピソードをピックアップします。
平重衡と平維盛
若き人気者重衡
伊子(建礼門院右京大夫)が綴ったある日の重衡
中宮(平徳子)の御所の局で、右京大夫が気の合った女房たちと雑談をしているところに、出仕していた重衡が来て、雑談の輪に入る。重衡は面白い事言っては女房たちを笑わせ、怖い怪談話をしては怖がらせたりして、周りを愉しませた
「陽気で、よく面白い事や冗談をいい、周りを明るくするムードメーカーであった。他者がちょっとした事で困ったり、悲しんだりしている時に、心を和らげたり、便宜を図ったりする心遣いをしてくれた」
「平家公達草紙」(作者不詳)にも重衡については、以下のように書かれています
他人の感情の機微に鋭敏で、落ち込んでいる人の気持ちをなごませ、上手く取り成すことができる。陽気なジョークや洒落たことを言って周囲を笑顔にさせる人柄。
同時代の人が残した平重衡の人物評は概ね以下の内容で共通している
人目をひくほど容貌は美しく、それでいて、気配りが出来て、困っている人には親切に接する。屈託なく、陽気で明るく人を笑わせて周囲を幸せな気分にする。
清盛の息子で、平家一門の中でも高い身分や社会的地位を持ちながら、気さくで誰にでも優しくユーモアやウィットに富んだ性格
伊子(建礼門院右京大夫)に言い寄る!?
重衡が雑談の合間に、「資盛同様、私も愛してよ」と言ってくるので、
濡れそめし 袖だにあるを おなじ野の 露をばさのみ いかが分くべき
(資盛さまお一人でも、私の袖の乾く間もないのに、同じ平家一門の貴方様まではとてもとても・・・)
【平重衡】
「はてまでもかやうにだにもあらむ」(いつまでもこんな事を言い合える仲でいたいね)
【伊子(建礼門院右京大夫)】
忘れじの 契りたがはぬ 世なりせば 頼みせやまし 君がひとこと
(殿方のおっしゃることをイチイチ真に受けて期待は致しません)
光源氏の再来、維盛
「光源氏の例も思ひ出でらるる」などこそ、人々言ひしか
人々が維盛の事を「光源氏の再来」と言ったと記述しています。
友達と維盛のキューピット
では、伊子(建礼門院右京大夫)と維盛のやり取りをみてみましょう
伊子(建礼門院右京大夫)【よそにても 契りあはれに 見る人を つらき目見せば いかにうからむ】(あなたと深い仲の私の友達を泣かせたら承知しないから)
↓
維盛【わが思ひ 人の心を おしはかり 何とさまざま 君嘆くらむ】(僕とか彼女の気持ちを勝手に決めつけて、勝手に嘆かないでね)
伊子(建礼門院右京大夫)【立ち帰る なごりこそとは いはずとも 枕もいかに 君を待つらむ】(彼女は口に出しては言わないけれど、貴方が帰った後も、ずっとあなたと逢いたいと思っているのよ)
↓
維盛【枕にも 人にも心 思ひつけて なごりよ何と 君ぞいひなす】(君は勝手に自分の考えを押し付けてるだけだよ)
維盛も言い寄る?!
「同じことと思へ」と、折々言はれしを、「さこそ」といらへしかば、「されど、さやはある」
(「私のことも資盛と同様に家族と思って頼ってね」と維盛さまが折々におっしゃられるので、「はい。そのように思っています」と答えたところ、「本当にそうかなあ」と言われた)
重衡と維盛はニコイチ
因みにこの時代、平家の中では、重衡と維盛はニコイチでした
西暦 | 重衡 | 維盛 |
1172年 | 中宮亮 | 中宮権亮 |
1178年 | 春宮亮 | 春宮権亮 |
1179~1181年 | 左権中将 | 右権中将 |
平重衡と、平維盛は、中宮(平徳子)、春宮(安徳天皇)の側近として、平家の将来を担う展望があったものと推察されます。また、左権中将や右権中将の官職は、その者が率いる軍団が事実上平家の私兵であったとしても、『官軍』であるという証にもなり、正統性を担保する役割も担っていたものと考えられます。※権の付かない中将や少将はこの時代、摂関家清華家の世襲官職であった
つまり二人は平家の将来のエースとして認識されていた
二人は叔父と甥の間柄ですが、年齢は二つ違いで兄弟のような歳の差です
恋のさや当て
馴れ初めは
近衛基通(二位中将)が平家の公達や平盛子の女房たちと花見をした土産として、花の枝を中宮(徳子)に贈ります。その返事を任された伊子は・・・
さそはれぬうさもわすれてひと枝の花にぞめづるくものうへ人(伊子)
お花見に誘われなかった憂さも忘れて一枝の花を中宮様は愛でています
もろともにたづねてもみよ一枝の花にこゝろのげにもうつらば(資盛)
花の枝が気に入ったなら、今度一緒に見に行きましょう
押してもダメなら(恋の駆け引き)
この後、怒涛の押しで伊子を陥落させた資盛。最後のキメは駆け引きでした。
ある日、資盛は重盛のお供で住吉大社にお参りにいきます。そのお土産として、住之江の浜で採った貝と忘れ草を伊子に贈ります。その忘れ草には文が結ばれていました。
浦みても かひしなければ 住の江に おふてふ草を たづねてぞみる(資盛)
つれないあなたをいくら恨んで(=浦)みても、甲斐(=貝)がないので、あなたへの想いを忘れようと「忘れ草」を探して来ました。
住之江の 草をば人の 心にて われぞかひ なき身をうらみける(伊子)
住の江の岸の恋忘れ草は、あなたのお心でしょう。私のほうこそ、恋い焦がれても報われない我が身を恨んでいます
資盛との想い出
今生の別れ
<以下、大意>
(資盛の言葉)
- このような状況では私もいつ戦死してもおかしくない
- 暫く命を長らえる事があっても、昔の自分とは違うと思う事にします。そうしないと、未練が断ち切れなくて苦しいのです。自分の心の弱さが情けないです
- どこの海を彷徨うか解りませんが、そこから貴方に手紙を書く事はありません。貴方を思い出すと覚悟が揺らいでしまうから。だから、どうか貴方の事を疎かにして手紙を書かないとは思わないで下さい
涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへん。
(涙のほかは、言葉も出ません。とても信じられず、悪夢の中でまた、悪夢をみているような絶望感は、何ものにも例えられません。)
平家流るる
今宵の月に袖しぼるらむ
いはむかたなき心地にて、秋深くなりゆくけしきに、ましてたへてあるべき心地もせず。 月の明(あか)き夜、空のけしき、雲のたたずまひ、風の音ことに悲しきをながめつつ、ゆくへもなき旅の空、いかなる心地ならむとのみ、かきくらさる。
(言葉に出来ない悲哀に満ちた気持ちで、荒寥とした深まり行く景色を眺めていると、私はこれから先、この辛さに耐えていける気はいたしません。月の明るさ、空の景色、雲の佇まい、風の音がさらに哀傷を誘う様子を眺めて、「資盛様は、行くあてもない旅の空の下で、どのようなお気持でいらっしゃるのだろう・・・」と想いやられるばかりで、目の前が真っ暗になってしまうのです・・・)
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いづくにて いかなることを思ひつつ 今宵の月に袖しぼるらむ
(資盛様は、何処で、どんな想いでおられるのでしょうか。今宵の月を眺め、涙で濡れた袖を絞っていらっしゃるのでしょうか。)
いはばやと 思ふことのみ 多かるも さてむなしくや つひにはてなむ
(資盛様の事を案じない事は一時たりともない。伝えたい想いは沢山あるのに、このまま空しく、伝えられずに時は過ぎてしまうのでしょうか)
泣く泣く寝たる夢に、つねに見しままの直衣姿にて、風のおびただしく吹く所に、いと物思はしげにうちながめてあると見て、さわぐ心に覚めたる心も、いふべきかたなし。
ただ今も、げにさてもやあるらむと思ひやられて
(資盛様の身を案じて泣きながら見た夢に、吹きすさぶ風の中に、何かをじっと見つめて一人佇む資盛様を見て胸騒ぎがして目が覚めた時の気持ちは言葉に出来ない・・・。今も資盛様がそのようなお姿だと想像してしまい・・・。)
なれける人を花も偲はば
翌年(寿永三年)の春、親類の人に物詣に誘われました。何事も憂鬱で物憂いけれど、信心に関することなので、気持ちを奮い立たせて詣いりました。その帰り道、「梅の花がとってもキレイなところがあるのよ」といって、連れられて行ったところ、本当に素晴らしい花景色でした。その場所の主である僧に聞くと、「毎年この花を独り占めするが如く、花を愛でておられた方がいたのですが、今年はいらっしゃらないので花も虚しく散っていくのみです」とおっしゃるので、「誰ですか」と尋ねると、「平資盛さまです」とあの方の名を耳にしてしまいました。心はかき乱れ悲しみを思い出しながら・・・
思ふこと 心のままに 語らはむ なれける人を花も偲ばは
(梅の花よ、お互いに思っている事を語り合いましょう。あなた(梅の花)も資盛さまを心配しているのですね。)
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一の谷の戦いにて
一の谷の戦いの結果、宮廷につかえていた時代、親しくしていた平家の公達たちが討たれて、さらし首にされた話を聴いて、
あはれされば これはまことか なほもただ 夢にやあらむ とこそおぼゆれ
(ああ、こんな事が現実にあるの? 私は悪い夢をみていると思いたい)
重衡と維盛
捕虜となった平重衡
重衡さまが囚われの身となって都に戻られると聴きました。むかし親しくしていだいていた公卿のなかでも特に、毎日懇意にして頂き、いつも面白いことを言って周囲を明るくしたり、困った人がいれば気さくに手助けするなど、滅多にいないとても素晴らしい人です。こんな素晴らしい人が、どうした理由で、こんな悲惨な目にあうのだろうと思うと、とても辛いです。お姿を観に行った人が、容貌はそのままで、とても見ていられなかったというのが、もうつらくて悲しくて言葉になりません。(伊子)
あさゆふに見慣れすぐししそのむかし かかるべしとは思ひてもみず
(朝晩いつもお姿をみていた昔は、重衡さまがこのようなことになるとは思ってもみませんでした)
©「平家物語」製作委員会
平維盛「悲報到来」
「維盛さまが、熊野で身を投げて亡くなられた」と人々が惜しんだ。親しい方の訃報はどなたであっても哀しいですが、今回の訃報は格別哀しいです。この世にも希な容貌の美しさといい、暖かで細やかな心くばりといい、素晴らしい方でした。(伊子)
春の花の色によそへし面影のむなしき波の下に朽ちぬる
(春の桜花にたとえられた美しい維盛様の面影が、はかないく波の底に朽ち果ててしまった)
©「平家物語」製作委員会
最後の手紙
いとど悲しき
作品上はびわとの再会でした
伊子(建礼門院右京大夫)
©「平家物語」製作委員会
資盛が平家の中で孤立する小松一門の中で相次いで兄弟の悲報に接して、どれだけ心細くしているかと案ずる伊子は、遂に想いを伝えます
屋島に便りを託せる確かな手段がなくて、個人で便りを届けることはさらに難しいので、こちらからは、気に懸かってしまう胸の内をお伝えることができませんでした。そうこうするうちに、確かに便りを託せる方が見つかったので、”これが想いをお伝えする最後の機会”と、いてもたってもいられず筆をとってしまいました。「何度も何度も、私が手紙を書いたら、資盛さまを余計に苦しめてしまうのではないか?」と、迷い躊躇(ためら)いながら文を認(したた)めました。
思ふことを思ひやるにぞ思ひくだく思ひにそへていとどかなしき
(御兄弟がお亡くなりになって、心が引き裂かれそうな思いでいらっしゃると考えるだけで、私の心は悲しみに満ちてしまいます)
おなじ世となほ思ふこそかなしけれあるがあるにもあらぬこの世に
(あなたと私は同じ世に生きている、でも、生きていることにもならない、生きているとも思えない現実が悲しい。)
©「平家物語」製作委員会
(以下、資盛)
もう文のやり取りはしないと言いましたが、貴方からの便りはさすがにうれしかった。今は、明日をも知れぬ命なので、一切の未練を断ち切ったつもりでいましたが、心のこもったお手紙を頂戴して、今回だけはお返事しようと思いました。
思ひとぢめ思ひきりてもたちかへりさすがに思ふことぞおほかる
(物思いを辞めようと思っても、また思ってしまう)
今はすべてなにのなさけもあはれをも見もせじ聞きもせじとこそ思へ
(今はどのような慈悲深い思いも、心に染みるような感慨も、見ず聞かず感じずに、何事にも一切心を動かさずにいよう、と思っているのだけど)
先に逝ってしまった弟たちや兄上の事を思うと、
あるほどがあるにもあらぬうちになほかく憂きことを見るぞかなしき
(生きているのに生きているという実感が持てないこの世で、さらにつらい現実を目の当たりにして何とも言えない心境です)
彷徨う思い
伊子は、資盛を失った後、資盛との想い出を綴った歌を残しています。雪の話題から
雪の思い出
実家に帰省していた時、雪が深く積もった朝、庭を見ていると、「逢いたかった」と資盛さまがいきなり訪ねてきた。その姿は、オシャレでとても若々しく美しく見えた。その時の面影が鮮明に蘇って、幾年月が経ったのに、つい昨日のように思い出してしまう。
年月の積もりはててもその折の雪のあしたはなほぞ恋しき
もう何年も昔のことなのに、あの雪の朝のことは、今でも恋しく思い出されます
(坂本で橘に積もる雪を見て)昔、宮中で雪がとても高く積もっていたある日の朝、宿直を終えた資盛さまが雪のついたままの橘の枝を持って佇んでいるところをお見かけした。「なぜ橘の枝を持っていらっしゃるの?」と尋ねると、「私が立つことに慣れている方の木だから、縁があると思って」とおっしゃった事が、つい最近のように思い出されます。
たちなれし 御垣の内の たちばなも 雪と消えにし 人や恋ふらむ
資盛さまが、近くに立って親しみを持った禁中の橘も、雪のように消えてしまった資盛さまを恋いしがっているだろうか
※資盛は右近権少将だったため、内裏では、橘(右近の橘)の近くに立つことが多かった
星合の空
七夕の 契りなげきし 身のはては 逢ふ瀬をよそに 聞きわたりつつ
嘆きても 逢ふ瀬を頼む 天の河 このわたりこそ かなしかりけれ
この辺りは年に一度しか逢えない彦星と織姫のことを気の毒に思っていたが、自分はもう二度と愛しい人に逢えないと嘆いている歌です
そして、「諸行無常」に抗うよう歌も
なにごとも 変わりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星合の空
全ての事は無常だけど、七夕の約束だけは変わらない。「平家物語」に抗う様な想いです
名は残る
出仕要請にこたえて、社会復帰を果たし、宮仕えをする伊子が、ふと資盛が宮仕えしていた頃に作成した書類に資盛の署名がある話を聴いて、
水の泡と 消えにし人の 名ばかりを さすがにとめて 聞くもかなしき
水の泡のように消えた資盛さま。でもその名はまだこの世に残っている。その名を聞くと哀しみが蘇る
面影も その名もさらば 消えもせで 聞き見ることに 心まどはす
面影もその名も、亡くなったらいっそのこと消えてしまえばいいのに。その名を聞いたりお顔を思い出したりするたびに、切なくなる。