『一の谷の戦い』後処理
一の谷の戦い後
(出典:wikipedia「一ノ谷の戦い」)
海には船が有ったが、乗れる人数は限られた
その晒された平家一門の首を確認にいった、斎藤五(重盛の家人)が維盛の首が無かった事を維盛の妻子に報告するところから10話は始まります
因みに斎藤五は斎藤実盛の子供です。
平重衡
©「平家物語」製作委員会
平重衡のあっぱれな態度に感銘を受けた源頼朝は重衡の処分について揺れます。
北条政子の陰謀
©「平家物語」製作委員会
©「平家物語」製作委員会
源頼朝の影より、北条政子の影の方が大きいという、両者の関係を絵的に表現
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(北条政子)まさか助けたいと
(北条政子)もし重衡殿を、いえ平家一門の命を助ければ
(源頼朝)源氏を滅ぼすものが出る?
(北条政子)京で育った誠、品のある花を憐れと思った者どもが付き従うやも
原作では、梶原景時など鎌倉の武士たちが平重衡の態度に、「あっぱれな大将軍だ」と感銘を受けている。平重衡が他の武士たちの神輿になる前に処理したいと北条政子が考えたものでしょう。ちなみに最終的に源氏は頼朝の子供の代で滅びます。また、原作では、頼朝は小松一門(重盛の一門)を滅ぼすつもりはない、と語っています。

大天狗
三種の神器
©「平家物語」製作委員会
三種の神器奪還の為、次々に武士たちを手駒として使い捨てにする後白河法皇
義経の使い捨て
©「平家物語」製作委員会
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今後、コイツをどう利用してやろうかと悪だくみをするが、そんなことはおくびにも出さない後白河法皇
義経と静御前
©「平家物語」製作委員会
初心な二人の所作は微笑ましくもあるが、血なまぐさくもある
©「平家物語」製作委員会
義経が写る盃に花びらが落ち、波紋で義経の顔が崩れる。義経の悲劇的な最期を暗示
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びわと平家
維盛とびわ
重盛の元家臣だった斎藤時頼(滝口入道)を頼ります。
維盛が”自分の弱さ”を嘆くのを聴いて、斎藤時頼(滝口入道)は慰めます
(滝口入道)「それくらいのことで」という者もおるかもしれません。
(滝口入道)人が耐えられる痛みに自分が耐えられるとは限りません。
©「平家物語」製作委員会
びわと維盛の今生の別れ
(びわ)維盛、そなたの事も語ろうぞ
(維盛)私の?何もかもから逃げた私の事を?
(びわ)びわはそなたの事をようよう知っておる。大切にしたい
(維盛)ならば生きた甲斐もあるやもしれん
維盛の最期を見届けたびわ
(びわ)維盛、最後まで臆病であったの
維盛の妻子のその後
<息子(六代御前・平高清)>
- 北条時政に捕まるが、文覚の助命嘆願で一旦は助かる
- しかし、その後文覚が謀反で失脚すると処刑される
頼朝に決起を迫る文覚
©「平家物語」製作委員会
平家物語十二巻は平高清(六代御前)の最期(清盛の嫡流の終焉)で終わるが、このエピソードはやや腑に落ちない部分がある。文覚は、『頼朝没後に謀反を企てた』とありながら、平高清(六代御前)の処刑が、頼朝の命令によるとしているところなど、矛盾点が有る。
<妻(建春門院新大納言、平維盛の北の方)>
- 原作では平維盛の北の方と呼び、出家して維盛の後生菩提を弔った
- 史実では、娘を伴って吉田経房と再婚する
<娘(夜叉御前)>
- 滋野井実宣と結婚するが、実宣が北条時政の娘と結婚するために離縁される
- その後、平親国と再婚
後に滋野井実宣は自分の長男に対しても、「権門富有の婚姻」を勧め、「無縁の妻妾を禁制」を強制しようとした為、長男が逐電、出家する事態を招く。藤原定家は、滋野井実宣を「至愚の父」と評している
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資盛とびわ
©「平家物語」製作委員会
水面に写す演出(伊子(建礼門院右京大夫)の手紙を資盛に手渡す)
©「平家物語」製作委員会

びわの身を案じて、どうしてここに来た、という資盛に対してびわは、
©「平家物語」製作委員会
(びわ)びわはそなた等に逢ってそなた等を知った。だから、視て聞いたものをただ語る
監督 山田尚子
確かに生きた人たちの、大切な物語に真摯に向き合いたいと思いました。
「平家物語」は宇宙のように果てしない存在だと思っていましたが、とても色鮮やかで、実に情の深い作品でした。どうかみなさまの心に沁みていけますよう。
よろしくお願いいたします。公式HPスタッフコメント
「https://heike-anime.asmik-ace.co.jp/」より引用
びわと徳子
©「平家物語」製作委員会
ここで象徴的なのは、安徳天皇がネコを欲しがった時に、びわがそれを拒絶して、近所の漁師にでも貰ってもらうという所。自分たち母子の未来(さき)を想像して、徳子が暗い表情をするシーン。
壇ノ浦へ
思惑
©「平家物語」製作委員会
灯りが消える
©「平家物語」製作委員会
北条政子は、平家のみならず、義経、範頼の排斥も目論む?
屋島の戦い
この時、平家は屋島(現「香川県高松市」)と彦島(現「山口県下関市」)の二か所に拠点を構えていました
彦島の背後、大宰府を攻め落とす源範頼。平家は彦島より先に逃げ場がなくなる
(出典:wikipedia「屋島の戦い」)
といっても四国とはそれ程離れていなくて干潮時には四国から馬で渡れるぐらいでした。
木曽義仲も、源範頼も岡山県側から屋島を攻めようとして大苦戦しますが、源義経は少数の兵で船を使って阿波(現徳島県)に渡り、干潮時を狙って背後から屋島を急襲します。
(出典:wikipedia「屋島の戦い」)
四方を海に囲まれているという安心感から、主力の兵を伊予(現在の愛媛県)の源氏側攻略に回していた平家は義経の奇襲に壊走して海に追い立てられます
背後から奇襲を受ける
©「平家物語」製作委員会
屋島への再上陸を試みる平家軍
©「平家物語」製作委員会
その時、一時休戦が成立して、休戦中に行われたのが、那須与一が扇の的を射落とすエピソードです。
休戦中の余興のはずが・・・
©「平家物語」製作委員会
そして敗走した平家軍はもう一つの拠点彦島に逃げ込みますが、源範頼が九州を攻め落として背後に構える状態でした。(葦屋浦の戦い)
九州を源範頼に抑えられて進退窮まった平家
頼朝の目的は違った!?
頼朝は、範頼に「三種の神器」「安徳天皇」「二位の尼」を確保する事を最優先にするように何度も指示をしている
「三種の神器」というのは”しるし”だけの物で、正統な天皇(この場合安徳天皇)から次代の天皇(この場合後鳥羽天皇)に引き継がれる事で、王道による正統な皇位継承と見做される。力づくの譲位は覇道で、皇位の正統性が保たれないというのが、武家政治になるまでの常識でした。「三種の神器」だけ有ってもダメです。
根絶やしにされるのはどっちだ!?
©「平家物語」製作委員会
悲劇の貴公子義経も絶頂はここまで。
ついに壇ノ浦。びわが視るものは?
©「平家物語」製作委員会
波で滴る水滴でびわの涙がイメージされる
©「平家物語」製作委員会
