3話に渡る『三河一向一揆編』も終わりです。「厭離穢土欣求浄土」vs「進是極楽退是無間地獄」の側面もありますので、そちらの解説から行いましょう。
厭離穢土欣求浄土
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家康の旗印となった由来
江戸幕府の故事などをまとめた『柳営秘鑑』(著者は幕臣の菊池弥門)によれば、家康が「厭離穢土欣求浄土」を旗印にしたキッカケは、以下のように記載されています。
三河一向一揆において、家康に味方した大樹寺の住職登誉(里見浩太朗)が、御旗に書き記し、勝利を収めて吉例とされた事が始まり。
大樹寺は浄土宗で、以前も説明しましたが、浄土宗と一向宗は仲が悪かったですからね。
「死を恐れるな!」ですね。戦場に兵士を送る際によく使われる意味ですね。一向一揆側も同様の文言を使っています。
進是極楽退是無間地獄
一向一揆側は、「進是極楽退是無間地獄(進まば往生極楽、退かば無間地獄)」という言葉を使いました。「どうする家康」でも千代が信者を煽る際に似たような言葉を使っていましたね。
「進むものは往生極楽!退くものは無間地獄よ!」(7話千代のセリフ)
進めば二つ逃げれば一つですか。確かに似ていますね
いえ。旗印は無かったようです。一向一揆の信者たちは鎧などに描いたようですね
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三河一向一揆、その後
約束を破る家康
以前、予想したように家康の悪行を信長や家臣に押し付けるシナリオでしたね
「三河物語」の以下のエピソードも本多正信の発案によるものと創作されていました。
「寺は以前と同じにようにする」と起請文まで取り交わした家康。しかし、和議が成立し、一揆が武装解除すると態度を豹変させて、一向宗の寺々は改宗を迫られる。拒絶すると、寺は破壊されて、僧侶は追放された。抗議する一向宗側に対して、家康は言い放つ。「以前は野原だったのだったから、もとのように野原にしただけだ」
でも、こうした騙し討ちは常套手段として使うと効果がありません。相手が騙されないですからね。日頃は律儀なところを見せておいて、肝心なところ(関ヶ原や大坂の陣など)で使うので、相手は騙されやすいでしょうね。
後、実際は一揆側にも、もう闘う余力は無かったので、家康としては足元を見やすいというのもありました。縋るような相手の気持ちを利用した権謀術数でしょうね。
和睦によって油断した敵を徹底的に無力化するのは大坂の陣でも用いられた家康の常套手段
一向宗禁教
そして家康は一向宗を禁教にします。もっと長い期間、一向一揆と大規模に戦った信長すら一向宗を禁教にはしていないので、この一連の騙し討ちは家康が主体的・能動的に行ったと考えて間違いないでしょう。
このあと、20年に渡って家康は領内での一向宗を禁止した
千代は望月千代だった
そして千代は、7話で考察した通り、やはり武田家の間者で望月千代でした。
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ネタバレコーナー
空誓上人
空誓は、寺を追われた後、三河国賀茂郡の洞窟に隠れ住んだと言われています。20年後、家康が一向宗を赦免して諸寺復興を許可しますが、その2年後には、本證寺の復興を果します。家康が関東に転封になると、本多正信の願いにより、江戸に徳本寺などの末寺を置くなど、徳川氏とは親密な関係を築きます。
お互いに大人なので、ちゃんと利用し合うようですね。江戸時代は、住持交代の際には将軍謁見を許されたり、尾張藩とも登城謁見を許されることが慣例となったり、本證寺は江戸幕府や尾張藩と親密な関係を続けます。
本多正信
一旦、出奔します。帰参した時期は諸説あって定かではありません。早くて姉川の合戦の時、遅くとも本能寺の変までには帰参しているようです。
そうですね。復帰したときの役職は鷹匠だったと言われていますから、現在の復職組とは大違いですね。因みに、徳川家を離れている時に松永久秀と交流があったようです。
松永久秀は戦国三大梟雄の一人と言われています
【松永久秀の本多正信評】
徳川の侍を見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である
復帰後の本多正信は、三国志の劉備と孔明のような関係(水魚の交わり)だったと言われています。また、家康の三大好物として「佐渡殿、鷹殿、お六殿」(=本多正信は佐渡守なので通称”佐渡殿”)と言われるくらい仲が良かったらしいです。
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夏目広次
家康から”夏目吉次”と間違われる夏目広次ですが、この後、三方ヶ原の戦いで討死します。三河一向一揆の長吉のように家康を庇って討ち死にしたと言われています。
この人の名前には「夏目吉信」という説もあり、その伏線ではないでしょうか。
家康が夏目広次の名前を間違えるのは、「夏目吉信」説への伏線か
その他の人たち
渡辺守綱(木村昴)
赦免されて帰参。特にドラマチックな展開は無いです
本多正重
本多正信の弟。赦免されて帰参。後に出奔、また帰参
蜂屋 貞次
赦免されて帰参。今川氏との戦いで討死
加藤教明
出奔。後に秀吉に仕える。息子は賤ヶ岳の七本槍・七将の一人、初代会津藩主加藤嘉明。
吉良義昭・松平昌久
不明。フェードアウトする。因みに忠臣蔵の吉良上野介は吉良義昭の兄の血筋
椿姫編の見どころ
三河一向一揆編も今回で終わり。三河統一を成し遂げた家康の次の目標は遠江です。
戦国大名としての今川家に終わりの時が近づく。そして、家康の前に立ちはだかる椿姫!
次々回あたりになると思いますが、
女城主田鶴がどのように描かれるか
椿姫と呼ばれるようになった所以をどう設定するか
築山殿事件と関係があるように描くのか
などが見所でしょうか。