オペレーター
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第6話、「悪い知らせ」の感想解説です。前回の記事はこちらです
【鎌倉殿の13人】感想・解説・考察 第5話 ”アサシン”善児NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第5話、「兄との約束」の感想解説です。アサシン善児の暗躍で、兄様北条宗時が最期を迎えます。しかし、宗時はその遺志ともいうべきものを義時に残しました。...
円城寺
石橋山の戦いで大惨敗を喫して、ドラマでは箱根や真鶴を命からがら逃げている源頼朝ですが、この後、驚くようなスピードで再起を果たして、1ヶ月あまりの間に大軍を率いて鎌倉に入府する事になります
源頼朝はなぜ一か月あまりの間に再起して、関東の支配者として君臨できたのか?
円城寺
昔から多くの人が疑問に思っていた点だと思います。1話づつこの疑問に迫りたいと思います。6話ではどのようにして死地から脱して、再起の足掛かりをつかんだのか、ドラマでは省かれた部分を補足しながら考察します
ドラマで省かれた部分も補足します
頼朝が死地から脱出できたワケ
ドロシー
再起の第一歩は生き延びる事よね。大庭軍が血眼になって頼朝を狩ろうとする中、どうやってこのピンチを逃れたのか見ていくわよ
飯田家義と土肥実平
オペレーター
大庭勢の追撃は激烈だったと思われますが、大庭勢の中にいた飯田家義の助力で山中に避難をして、当面の難を逃れます。その後、箱根神社別当に匿ってもらった後、土肥実平の用意した船で安房に逃亡します
円城寺
土肥実平は石橋山近辺を本拠としていたので土地勘もあったし、船も用意できたのですね
ひとみん
飯田家義は、大庭軍なのにどうして頼朝の味方をしたの?
飯田家義は、大庭景親と所領争いをしていました。その後、和睦を結び大庭景親の娘を娶り、姻戚関係を結びますが、平家側の圧迫には不満があり、源氏に心を寄せていました。しかし、頼朝挙兵時、大庭景親本軍と、景親の弟の軍に挟まれる形となり、渋々大庭軍に加わります。
ドラマで強調される梶原景時
オペレーター
43年前の大河ドラマ「草燃える」でも梶原景時(草燃えるでは江原真二郎、このドラマでは中村獅童)の頼朝見逃しが強調されたました
これは「吾妻鏡」にある有名なエピソードです
円城寺
ドラマでも後の話数で本人が話すかもしれませんが、やはり関東武士独立の芽は摘みたくないということでしょうね
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風雅
飯田家義の場合は、頼朝に味方したくても地理的な事情で一時的に大庭軍に加わらざるを得なかったわけですね。三浦軍も当初、大庭軍に味方する振りをしていますし、この時期は当事者からすると旗幟が鮮明でなかった勢力が多かったという事ですね
<死地脱出ポイント1>
- 敵の大庭軍の中に味方をしてくれる武将(飯田家義、梶原景時)がいた
- 箱根神社別当と源為義(頼朝の祖父)・源義朝(頼朝の父)の間に親交があった
- 土肥実平が船を用意できた
逃亡先は安房が最適だったワケ
甲斐がダメな理由
オペレーター
さて、こうして死地を脱した頼朝ですが、一旦箱根神社に身を置きます。しかし、箱根神社にも平家に味方する勢力があり、一息つくだけですぐに次の移動先を見つける必要がありました
ドラマでは省略されて、北条義時との再会が箱根になっていました
【当時の箱根神社の勢力】
頼朝側:箱根権現別当、行実
平家側:行実の弟、智蔵房良暹
円城寺
しかし、北は大庭景親、南は伊東祐親に抑えられて、西か東にしか逃げ場はありません。そこでもう一度当時の関東の勢力図です
(出典:wikipedia「石橋山の戦い」)
ドロシー
箱根からなら、甲斐の方が近いけど、武田に拒否されて結果的に安房(千葉県南端)に逃げるのよね
武田は敵では無かったが、ライバルであった
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武田信義とは
オペレーター
今回初登場の武田信義ですが、八嶋智人が演じています
風雅
「甲斐源氏」武田氏は河内源氏の出身ですけど、前回確認したように源義家の子孫では無いので、関東では「武士の棟梁」と見做されない部分があります
【鎌倉殿の13人】感想・解説・考察 第5話 ”アサシン”善児NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第5話、「兄との約束」の感想解説です。アサシン善児の暗躍で、兄様北条宗時が最期を迎えます。しかし、宗時はその遺志ともいうべきものを義時に残しました。...
関東では源義家の子孫でないとブランドはイマイチ
円城寺
頼朝からすると目障りではあるけど危険度はこんな感じでしょうか
【頼朝の座を脅かす危険度】
弟たち > 木曽義仲 > 武田信義
貴種であること(血筋)が拠り所の頼朝にとって、弟たちは自分と同じ源義朝の子供で最大のライバル。木曽義仲も源義家の血筋なので気をつけるべきライバルとなる
オペレーター
但し、都では、一時期源頼朝、武田信義、木曽義仲の3者が、東国における武家の棟梁と見做された時期もありました
今、何気に「源頼朝」「木曽義仲」と呼称していますが、義仲が最終勝利者になった場合、「源義仲」、「伊豆頼朝」と頼朝が傍流扱いになっていた可能性もあります
ドロシー
頼朝からすると武田信義は目障りではあるけど、脅威ではないってことね
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安房の5大勢力
現在の千葉県地図
安房はこのうち、館山市、南房総市、鴨川市、鋸南町(きょなんまち)辺りが該当します。
ひとみん
”鋸”と書いて”のこぎり”と読みますが、鋸南町(きょなんまち)です
風雅
小さくとも、徒手空拳の頼朝が再起の拠点にするには、決定的なメリットが幾つかありました
オペレーター
当時の安房は五つの勢力が割拠していました。白が頼朝に味方しそうな勢力、赤が平家側の勢力です
【当時の安房の5大勢力】
頼朝側:安西氏、丸氏、神余氏、東条氏
平家側:長狭氏
円城寺
安西景益は、幼少の頃から頼朝と親しく特に味方になってくれそうな武将です
ドロシー
こうして見ると頼朝側が圧倒的に多いというのが逃亡先としての安房のメリットよね
地理的にも安房〇、甲斐×
風雅
もう一つは地理的なメリットですよね。平家の討伐軍が来るとしたら、西からなので、甲斐だと真っ先に矢面に立ちます。これに比べて安房だと関東の東南の端なので、後顧の憂いがありません
『生産国』
シミュレーションゲームの用語。周囲に敵国がなく、攻め込まれる恐れが無い国。防御の為の兵力を最小限に出来るメリットがある
<死地脱出ポイント2>
- 安房の実力者安西景益と幼い頃から親交があった
- 安房・上総・下総は反平家勢力が多かった
- 三浦氏も安房に勢力を持っていた
- 安房は関東の東南の端で、平家から攻められ心配が少なかった
なぜ、房総半島(安房・上総・下総)で反平家勢力が強かったか?丁度ある事件をきっかけに房総半島の在地有力者であった「房総平氏」が反平家勢力に染まりつつある時期でした。その意味でも頼朝は運が良かったと言えるでしょう。
円城寺
どうして「房総平氏」が反平家に傾きつつあったか?その辺りは、また次話で補足したいと思います
ドロシー
次回は、惨敗して少人数で逃げ回っていた頼朝が、短期間で大勢力なったヒミツに迫るわよ