オペレーター
大河ドラマ「晴天を衝け」を10倍楽しむ為の解説レビューです。ドラマではあまり触れられないような時代背景や、経緯などを解説しながらレビューします。第5話では疫病、大地震と現代にも似たような災害とそれに翻弄される人々が描かれています
現代とオーバーラップさせたアマビエ
迷信とアマビエ
【あらすじ①】
支配層である武士たちの理不尽な横暴に憤る栄一少年。また、尾高惇忠に感化されて、日ノ本が夷狄に踏みにじられると外国の脅威を感じる。ここで、家康による江戸時代の身分制度の説明。
渋沢家では、姉の”なか”の縁談が、縁談相手の家にはオサキギツネが憑いているという理由で、宗助(伯父)とまさ(伯母)に反対され、破談になる。
一方、江戸では疫病が流行して、アマビエの瓦版が出る。徳川斉昭は「夷狄の毒が深くなる」と外国のせいにした手紙を慶喜に出す。慶喜は「父上が暴走しなければ良いが」と心配する。
円城寺
当時の出来事を現代と結び付けて、理解しやすいようにとの配慮が所々に見えますね
アヘン戦争の捉え方
オペレーター
同じアヘン戦争でも、対処の仕方が開国派と攘夷派で両極端になっています
ドロシー
開国派は、今のままでは清国の二の舞だから、開国により先端技術を導入して国力を上げるのが先決。攘夷派は、ある種の迷信よね。今のままで攘夷が出来るって信じているんだから
スポンサーリンク
ロシアと戸田(へだ)村と川路聖謨
下田の大地震とロシア船の転覆
【あらすじ②】
各国と次々と和親条約を結び、開国を推し進める阿部正弘を詰問する徳川斉昭。方針の違いで激論になる。割って入る藤田東湖。その時、下田に大地震が発生して、ロシア船が転覆したとの急報が入る。徳川斉昭は「神風が吹いた」と喜び、ロシア人全員の殺害を主張する。そんな非人道的な事は出来ない、と反論する阿部正弘。阿部正弘はこれ以上相手をしていられないと、場を変えようとする。徳川斉昭は不機嫌になり捨て台詞を浴びせる。水戸藩邸に帰った後、徳川斉昭を諫める藤田東湖。駄々っ子のように聞く耳を持たぬ徳川斉昭。藤田東湖が自宅に帰ると、平岡円四郎を連れた一橋慶喜が待っていた。
そのころ、栄一は、縁談が破談になり、情緒不安定で徘徊をしている”なか”を心配して後をつける。強い”なか”の変わりようを嘆く栄一に、千代は、強者ほど弱く、弱者にも強い所がある「人は一面ではございません」と語る。まさ(伯母)が修験者を連れてくるが、その霊感商法のような手口に栄一は論理的に反論。追い返す。その様子を見ていた”なか”は栄一に礼を言い、元気を取り戻す。
スポンサーリンク
お互いに助け合ったロシアと日本
オペレーター
安政の大津波について、作中では触れられていませんでしたが、ロシア側が日本人を助けたという説もありますし、下田市役所のHPにもそういった類の記載があります

www.city.shimoda.shizuoka.jp
外部リンク

プチャーチンによるディアナ号来航と「安政の大津波」 | 下田市
https://www.city.shimoda.shizuoka.jp/category/100400shimodanorekishi/110777.html
地震は2回、津波は幾度となく押し寄せ、町内の家屋はほとんど流失倒壊し、溺死者等122人、戸数875戸のうち841戸が流失全壊、30戸が半壊、無事の家はわずかに4戸しか残りませんでした。
(中略)
このような災害の中、ロシア側は、その日の夕方、津波見舞いに副官ポシェートと医師を同行させ、傷病者の手当ての協力を申し出ています。この厚意に応接係・村垣範正(むらがき のりまさ)はいたく感服したと伝えられています。
ドロシー
これが人として、普通の対応よね。困ったときはお互い様。でも、ごく少数とは言え、徳川斉昭みたいな人もいるのよね
円城寺
それこそ千代が言うように「人は一面ではございません」という所でしょう
風雅
”一面では無い”のは人だけでなく、思想や社会制度も同じで、列強の脅威が迫る中、日本を護るためには、個人主義で各々が自分の欲望の為に動いていてはダメだったと思います。尊王攘夷思想は、当時の知識人たちに『私心を捨てて、日本全体の事を考える』、という状況を作り出したので、当時は必要だったのでしょう。ただ、何でもそうですが、行き過ぎ(過激化)が問題だったのでしょう
強い所と弱い所があり、良い所と悪い所がある。 一面ではない
スポンサーリンク
文豪イワン・ゴンチャロフが絶賛した川路聖謨の人柄と才能
オペレーター
ロシアとの交渉は、国境の交渉を含めて厳しいものとなりましたが、その中でも川路聖謨は、粘り強く交渉して、文豪イワン・ゴンチャロフを含めたロシア側から、人柄と才能を称えられて、ロシア側代表のプチャーチンとの交流は孫の代でも続きました
円城寺
この時の面白いエピソードが、ロシア側が川路聖謨の写真を撮りたいと言った時に、川路聖謨が、「自分のような醜い顔を日本男性の代表のように思われては困るので」と返して、場を和ませたというモノですね
ドロシー
当時、日本は弱国だ、との認識の元、それでも領土交渉や、貿易交渉では日本の為に譲らなかったのね
オペレーター
ロシア側が自由貿易を持ち出して、「お互いの利益になる」と言った時も、川路聖謨はジョークを交えて、自由貿易で富の流失や後進国の国内産業が壊滅的な打撃を受けた例え話を持ち出し、笑いが起こったところで話題を変えたりして、中々のタフネゴシエーターぶりを発揮します
「ヘダ号」建造と造船技術の習得
オペレーター
地震による大津波で船を失ったロシア側が新な船の建造を依頼した時に、川路聖謨は応諾しますが、船大工に「この機会にロシア側の技術者から造船技術を習得するよう」に指示を出します
ドロシー
ただのお人好しの善意だけじゃなく、ちゃっかりしたところもあるのよね
川路聖謨は誠意の人でもあったが、強かな人でもあった
ひとみん
江戸幕府って外交下手で列強諸国にいいようにされた、っていうイメージがあったけど、覆されたわ
円城寺
明治政府が自分達の正統性をアピールするために、幕府を無能な悪者にする印象操作があったのでしょう
幕府の外交交渉は頑張っていた
無能イメージは、明治政府の印象操作か?
スポンサーリンク
西郷隆盛や橋本佐内が藤田東湖を慕ったのはなぜか
ひとみん
西郷隆盛や橋本佐内が訪ねて来たって、藤田東湖が語っていたけど、当時、藤田東湖はどうしてそんなに人気があったの?
風雅
列強の脅威に対して、皆が一致団結して対処するための、民心を纏める”思想”が必要とされたのです。その思想として歴史のある水戸学が重視されて、その第一人者である藤田東湖の人気が高ったのです
安政江戸地震で斜陽を迎える幕府と水戸藩
安政江戸地震
【あらすじ③】
下田の大地震の翌年、江戸を大地震が襲う。江戸城を含む関東平野南部は大打撃を受ける。水戸藩藩邸は倒壊して、藤田東湖が落命する。
オペレーター
将軍家定や幕閣は無事でしたが、この震災の影響で幕府は多大な出費を強いられて、財政を悪化させます
スポンサーリンク
藤田東湖が斉昭から信頼される理由
風雅
藩主選びが大きなきっかけだったと思います。徳川斉昭の先代は斉昭の兄でしたが、病弱で世継ぎを残さずに世を去りました。後継ぎについて、上級武士たちは、将軍の息子を養子に取ろうとしました。1話のレビューで少し触れましたが、一橋家の血統寡占ですね
【鎌倉殿の13人】感想・解説・考察 第6話 頼朝がすぐに再起できたワケNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第6話、「悪い知らせ」の感想解説です。石橋山の戦いで大惨敗を喫して、命からがら逃げている源頼朝ですが、この後、驚くようなスピードで再起を果たして、1ヶ月あまりの間に大軍を率いて鎌倉に入府する事になります。...
オペレーター
それだけではありません。徳川家斉の息子が尾張徳川家、紀伊徳川家、清水家を相続しており、実質御三家・御三卿は、水戸家以外事実上一橋ファミリーによる支配がありました。
清水徳川家第2代当主 → 11代将軍徳川家斉の息子
紀州徳川家第11代藩主 → 11代将軍徳川家斉の息子
尾張徳川家第11代藩主 → 11代将軍徳川家斉の息子
風雅
この「紀州徳川家第11代藩主」に入った男子を水戸家の藩主に迎え入れようとする動きが有ったのです。この一派を「門閥派」又は「諸生派」と言います。比較的、上級の家臣たちのグループです
風雅
そんな中、下級武士を中心に斉昭を推す勢力があり、思想的中心にいたのが藤田東湖でした
水戸家が一橋に乗っ取られる危機がった。徳川斉昭が水戸家を継ぐにあたって、藤田東湖の尽力が大きかった。
風雅
その後の政策も貧民の救済や学問の振興など、藤田東湖が思想的なバックボーンとなって支えていく事で信頼関係が深まったと考えられます
ドロシー
一橋家に乗っ取られかけた、水戸家が一橋家を乗っ取るとか世の中分からないものよね
スポンサーリンク
慶喜にも痛かった水戸藩の斜陽
オペレーター
水戸家では内紛と暴発が繰り返されて、次第に人材が枯渇していきます
円城寺
一橋慶喜にとっても痛いですね。一橋家はそもそも領地も家臣も幕府の借りものなので、何をするにしても生家の水戸家に頼りたいところでしょうけど、それが困難になったという事ですね
風雅
先の話ですけど、だからこそ渋沢栄一の出番がある、とも言えますね