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鎌倉殿の13人

ネタバレ解説【鎌倉殿の13人】考察 9話 「富士川の戦い」の深層

鎌倉殿の13人タイトル
オペレーター
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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第9話、「決戦前夜」のネタバレ解説後篇です

後篇は、富士川の戦いにフォーカスします。

  • なぜ平家は戦わずに撤退したのか
  • 水鳥に驚いて撤退したという逸話は本当なのか
  • 富士川の戦いが与えた影響
円城寺
円城寺
主に以上の内容を考察していきます

富士川の戦いとは?

平家本隊と源氏勢力の初衝突

オペレーター
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まず源平の争乱の全体図を確認しましょう

源平争乱図「鎌倉殿の13人 前編 NHK大河ドラマ・ガイド」より引用

円城寺
円城寺
図では”06”に当たる部分ですね
風雅
風雅
恐らく、平家としては、各地で発生している反乱を抑える象徴として、朝廷の正式な追討軍で源氏の棟梁の頼朝を屠り、天下に武威を示す意図が有ったのだと思います。そして、少なくとも初動では、それは容易いと考えていた節があります

平家、当初の思惑

風雅
風雅
平家の当初の思惑と言うか、そもそもの戦い方なんですけど、家人がほぼ反乱軍を平らげて追討使は形だけ現地に行って、追討の体裁をつけるというつもりだったと考えられます

以仁王の挙兵も、平維盛や平重衡など平家一門が参陣する前に、藤原景家景高親子、藤原忠清忠綱親子などの活躍で事実上決着がついていた。

円城寺
円城寺
つまり富士川の戦いで言えば、大庭景親や伊東祐親が、頼朝を成敗して、橘遠茂が甲斐源氏を討伐して、追討使が到着するのを待ち受けるっていうのが平家側の段取りだったわけですね

関東勢力図(出典:wikipedia「石橋山の戦い」

都にいる平家の思惑としては、石橋山の戦いの結果から、事実上関東の家人だけでケリがつく、と考えていた。

風雅
風雅
以仁王の挙兵や石橋山の戦いの経験則と平家軍の陣容を見れば、そう推察できますよね

黄瀬川ⒸCopyright NHK

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追討軍の実態

【平家の陣容】

<総大将>平維盛(平清盛の嫡孫)
<大将軍>平忠度(平清盛の末弟)
<大将軍>平知度(平清盛の七男)
<侍大将>藤原忠清

当時、藤原忠清は「坂東八ヵ国の侍の別当」として、東国武士団の指揮権を与えられていた。そして清盛は、維盛に対して「入道殿の御定には、『いくさをば忠清にまかせさせ給へ』と仰せ給ひしぞかし。(いくさの事は忠清に任せればよい)」(平家物語より)

また、藤原忠清は平維盛の乳母夫(めのとふ)。つまり、二人は乳父と養君という間柄で有り、共に重盛の一門(小松一門)であった。

ドロシー
ドロシー
重盛の一門(小松一門)の中でも、平資盛ー平貞能ラインは動員されていないので一部だけの動員だったわけね。

7万の軍勢のうち、平家一門の軍勢はごくわずか。殆どが駆武者(かりむしゃ)という、追討の宣旨を理由に、道中無理やり動員された兵で士気が低かった。

円城寺
円城寺
以上のことを考慮すると、平家は関東の家人たちが主体で戦う(その総指揮は藤原忠清)事を考えていて、追討軍自体が主体で戦う前提では考えていなかったという事ですね

しかし、平家の思惑は崩れて、追討軍が富士川に着陣した時点で、南関東及び駿河の平家方(大庭景親、伊東祐親、橘遠茂)は壊滅していた

ドロシー
ドロシー
ゆっくり行軍したのは、ひょっとすると藤原忠清としては、大庭景親たちに時間的余裕を与える意図があったかもしれないわね

平家追討軍はそもそも、自分達が到着する前に関東の家人たちが源氏の反乱を平定すると考えていた。その為、彼ら(関東の平家方)に時間的余裕を与える意図もあったかもしれない。

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追討軍撤退の真実

7万が4千に?!

オペレーター
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ドラマでも有名な水鳥の羽音が原因で平家軍は撤退したと描写されていましたが実態はどうだったでしょうか
ドロシー
ドロシー
平家軍だけど、士気が低いうえに関東の平家方が壊滅して思惑が外れてしまって、開戦前から厭戦気分が充満してたのよね

「支度の処、敢えて付かず、或いは、其の身参ると雖も、伴類・眷属猶伴わず、或いは、形勢に従い、逆徒等に従う」『吉記』治承4年11月2日条

円城寺
円城寺
”逆徒等に従う”というのは源氏側に寝返るものまで出るという事ですよね
オペレーター
オペレーター
富士川でも頼朝軍の多さに平家側がビビっています

<頼朝進軍路>
山木の戦い(伊豆):数十騎
→石橋山の戦い(相模):三百騎
→安房へ逃亡:数人
→結城浜の戦い(下総):5千騎
→鎌倉入り:3万騎
→富士川の戦い:20万騎

ドロシー
ドロシー
かなり誇張はあるけど、頼朝軍は20万騎と史料にある。二か月前の山木の戦いではわずか数十騎だったことは特筆すべき事項よね

頼朝軍は短期間で急激に巨大化した

円城寺
円城寺
逆に平家軍は逃亡者や寝返りがどんどん出て、7万と言われた軍勢も最終的には4千騎になっていたと吾妻鏡に有ります

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撤退を渋る維盛、説得する忠清

オペレーター
オペレーター
兵力差を見た侍大将の藤原忠清は撤退を進言しますが、総大将の平維盛は渋ったと史料にはあります

しかし、周りも撤退に賛成したため、維盛も最終的には撤退を受け入れる

「於維盛者、敢無可引退之心云々、而忠清立次第之理、再三教訓、士卒之輩、多以同之、仍不能黙止」『玉葉』治承4年11月5日条

藤原忠清に再三に渡り説得されて、士卒も皆忠清に同意したため、維盛も渋々撤退を受け入れた。

水鳥の真相

円城寺
円城寺
水鳥云々以前に撤退は決まっていたわけですね。では、水鳥のお話は作り話なのでしょうか?そうとも言い切れない箇所もあるんですね
平家物語水鳥の羽音に驚いて慌てて逃げる
源平盛衰記水鳥の羽音に驚いて慌てて逃げる
吾妻鏡水鳥の羽音で包囲されたと思い逃げる
山槐記水鳥の羽音で敵軍又は裏切り者の奇襲を疑って逃げる
吉記源氏側の軍勢が多かったため撤退した
玉葉自軍の兵士が源氏側に数百寝返った為撤退をした
ドロシー
ドロシー
上の後世に書かれた物語系の史料は、ドラマチックにするため盛った可能性もあるけど、山槐記でも水鳥の羽音の件は書かれているのよね
  1. 水鳥の羽音以前に撤退は決まっていた(玉葉、吉記)
  2. しかし、撤退準備の警戒中に水鳥の羽音がして敵軍或いは自軍の裏切りが動いてると勘違いした(山槐記)
  3. その為、退路を断たれると大変だ、と慌てて撤退した
風雅
風雅
この辺りが真相に近いんじゃないでしょうか

頼朝にとって最大の脅威は?

実際はちょっと討って出た?

オペレーター
オペレーター
ドラマでは全く追撃しなかったとされていますが、実際には追撃しているようです
風雅
風雅
飯田家義が論功行賞を受けていますよね。息子が討ち死にしているし

また上総広常の兄、印東常茂も討ち死にしている

ドロシー
ドロシー
坂東武者からすると追い返すついでにちょっと追撃した感じかな

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武田が脅威でない理由

オペレーター
オペレーター
富士川の合戦は、頼朝にとっての意外な脅威を浮かび上がらせる結果となりました
ひとみん
ひとみん
頼朝にとっての脅威って武田?
風雅
風雅
武田はあまり大きな脅威では無いですね

都からみると、武田も頼朝と同じ源氏の大物だが、義家の血筋ではない為東国では数段劣る存在。

ドロシー
ドロシー
地方豪族の一人みたいなものよね。頼朝の競争相手じゃないわ。こんな感じ?

源頼朝>弟たち>木曽義仲>(越えられない壁)>武田

実際、源頼朝の血筋が絶えても、「じゃあ武田が将軍に」とはならなかった

ひとみん
ひとみん
つまり武田よりも弟たちや木曽義仲の方が脅威なんだね

最大の脅威は坂東武者の独立心

風雅
風雅
勿論、同じ血筋のライバルたちも脅威なんですが、喫緊課題は、坂東武者の独立心でしょう。

主従関係が緩く統制がとりづらい頼朝軍 = いう事を聞かない坂東武者

ドロシー
ドロシー
頼朝と坂東武者の関係って、緊張感のある上下関係じゃないから、グリップが効かないのよね

それを源頼朝が克服していく様が、このドラマの見どころの一つでしょう。

マキャベリストのような恐怖による支配か、マックスウェーバーの言う恐怖と希望による服従か。

円城寺
円城寺
そしてその頼朝の権謀術数は、いずれ周りの時政や義時に受け継がれていくんですね。それがどのように描かれていくのか今から楽しみですね

 

 

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