幼なじみの絆
木曾義仲登場!
北条時政が伊豆に引き上げる
比企能員はこの機に北条にとって代わろうと源氏に接近する
行家が頼朝を頼って鎌倉にくるが頼朝は追い返す。行家は木曽義仲を頼る
武田信義が「木曾義仲が平家と手を組む」というウワサを頼朝に吹き込む
頼朝は信濃に脅しの兵力を派遣しようとするが御家人たちは反発して従わない
やむなく頼朝は派兵を諦めて、使者(範頼、義時、義村)を義仲の元に送る
義仲は、頼朝の求めに応じて人質として嫡男義高を鎌倉に送る
八重が義時の想いを受け入れる
節操無し頼朝
頼朝と比較して誠実な義時を八重が受け入れる
八重に言い寄る頼朝、八重は強烈にはね付ける。
(頼朝)「噛むかー!」「是非もない。鎌倉へ帰ろう」
そして、間もなく訪れた義時。頼朝の事を問い質さない義時に疑問を投げ狩る八重に対して、義時は
義時。時々涙目になりながら「どちらでも~良いのです。ここに鎌倉殿を招き入れたとしても、私は構いません。私と八重さんは幼なじみ。私の想いは、あの頃からず~っと変わりません。私はそれを大事にしたい。八重さんに振り向いてもらいたい、そんな大それたことは、もう考えません。振り向かなくても構わない、背を向けたいのなら、それでもいい!私はその背中に尽くす。八重さんの後ろ姿が幸せそうなら、私は満足です。しばらくここには戻りません。八重さんはどうか、ここにいてください。貴女はやっぱり伊豆の景色がよく似合う。伊東の館に紫陽花を届けたあの日から、ずっとそう思っておりました。帰ります!」
八重「待って!小四郎殿。お役目、ご苦労さまでございました。お帰りなさいませ」
義時:涙を堪え乍ら「ただいま・・・。帰りました」
亀も去ることを政子に約束する。亀は去り際、政子に御台所としてのあり様を諭す。政子もまた、その言葉を受け入れる。
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関東独立派の蠢動
東国独立論
亀の前事件や北条時政の離反で、御家人たちの頼朝への信認は揺らいでいた。
反対派:三浦義澄、岡崎義実、土肥実平、千葉常胤、和田義盛、畠山重忠など
東国が攻められたら戦うけれど、源氏同士の諍いには関与しないという態度
いい加減と言うか、三浦館にいたメンバーなので、言い分の聞き役だった北条義時や三浦義村の名前までありました。
『愚管抄』によると「東国独立派」の首魁は上総広常であると、頼朝は言ったと記録にあるが・・・
実際に、寿永2年(1183年)になると、上総広常と頼朝の関係は改善されていたという見方もあります
北条に代わろうとする比企
簡単に応じてしまう義経と、鎌倉殿の意志を優先して退席する範頼が対照的描かれる
【描かれた2つの伏線】
源氏との姻戚関係を巡る北条と比企の確執
鎌倉殿に従順な範頼と己の欲望に素直な義経の対比
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木曾義仲
カッコ良く描かれる
木曾義仲は、頼朝兄弟とは従兄弟になる

掻い摘んで説明すると、父親同士が兄弟で、義仲の父親は、頼朝の兄(義平)に討たれています
八幡太郎義家の血統
貴種で有る事が拠り所である頼朝にとって、義仲はいわば最大のライバル
対立の原因
行家以前にも、頼朝と関東で敵対していた志田義広(叔父)を庇護していた。
ドラマでは武田信義の讒言を利用する
嫡男を人質に

この時点で木曾義仲は、以仁王の遺児北陸宮を擁護して北陸で平家と争っており、頼朝や甲斐源氏と争うと四面楚歌になってしまうから、後方の安全確保が喫緊だった
以仁王の令旨だけでなく、北陸宮を擁している事で、権威を得た義仲は、勢力を増す。東国独立派の中には頼朝に代わる存在として、その権威を神輿にしようとする動きが出る。
しかし、朝廷の情報を得ることに一日の長がある頼朝は、以仁王が皇位簒奪を謀った人物と評価されている事を知り、距離を置くようになっていた
「関東御家人を中心とした東国独立派」と「頼朝を中心とする朝廷との協調路線派」の対立も次回発熱する