「足固めの儀式」の本当の意味
源頼朝による支配の足固め
万寿(頼家)が初めて立った事を祝う行事と思わせておいて、実態は、源頼朝が鎌倉殿として、御家人を統治する体制の「足固めの儀式」だった。
関東独立派御家人の計画
- 万寿(頼家)が初めて立った事を祝う行事「足固めの儀式」を鶴岡八幡宮で催す
- 同じタイミングで鹿狩りと称して、三浦館に兵を集める
- 祝いの儀式で警戒が緩んだ隙を狙い、鶴岡八幡宮で万寿(頼家)の身柄を確保する
- 万寿(頼家)を人質に頼朝に降伏を迫る
頼朝側の対策
比企能員を三浦館に偵察に向かわせるが、比企能員が関東武士独立派に寝返る
逆に土肥実平が、関東武士独立派から距離を置き、北条義時に情報を伝える
頼朝は、鶴岡八幡宮に北条義時と安達盛長を向かわせて、他の武士たちに御所の守りを固めさせる。この時、頼朝は義時に「叛乱派の御家人たちも兵を引けば許す」と言質を与える。(関東武士独立派の御家人たちに、振り上げた拳の落としどころを与える)
- 北条義時が御家人たちを説得する
- 頼朝派の依頼で叛乱に加担するフリをしていた最大の実力者上総広常が、それに応じる事で他の御家人たちも追随せざるを得ない状況になる
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上総介は使い捨ての駒
使い捨ての駒
事後処理において、北条義時は、以下の献策をします
- 寛大な処置で御家人たちを許す
- 所領の加増など頼朝の為に兵を出すメリットを示す
北条政子からも御家人たちへの寛大な処置を進言されます
御家人たちに一切のお咎めなしでは鎌倉殿が軽く観られる
上総広常一人を見せしめとして罰を与えるように進言する
義時は猛反対する。
『上総介殿は、叛乱を鎮める目的で、こちらが頼んで謀反の企みに参加して貰ったのに、罪を負わせるのはおかしい』
ここに至って義時は源頼朝・大江広元の計略の全貌を知る事になる
初めから、そのつもりだったのか・・・。
「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」(by大江広元)
尚も食い下がる義時
上総介は、「御家人なんざ使い捨ての駒だ・・・お前は己の道を行け」と言った。アイツも本望だろうよ
マキャベリズムで支配する
いかなる非道な手段も反道徳的な行為であっても、結果として政治目的を達成し、国家(組織)の利益を増進させるのであれば許されるという考え方を持つ人物
鎌倉殿の命令に従って兵を出せば所領を加増するというアメと、
「わしに逆らうものは何人も許さぬ」という恐怖で支配
頼朝の大願成就と関東の安定を望んでいた上総介広常を鎌倉政権安定化の礎、生贄とした。
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鎌倉政権の地殻変動
権力は房総平氏から北条氏・比企氏へ
源頼朝を支える最大の軍事基盤であった上総広常の抹殺により、頼朝を支える鎌倉政権の中枢は房総平氏から、北条氏・比企氏の頼朝の姻族を中心とする勢力に移りました。
上総介広常の遺領はどうなった?
上総氏の遺領は、三浦氏、千葉氏に分配された
この時代は、江戸時代などと違い、子供たちに分割して相続させる「分割相続」が主流で、どうしても個々の御家人たちは、小さな勢力に成りがちでした。
鎌倉政権NO.2は大江広元
頼朝存命中は名実ともに。頼朝他界後は、北条氏がNO.2になるので、大江広元は名目的にNO.2
頼朝存命中の鎌倉政権下では、将軍は最高正二位。これに対して御家人は、頼朝の弟たちも含めて最高でも従五位下。隔絶した身分の違いがあったが、大江広元だけは正五位という高い地位であった。頼朝他界後も、執権北条義時が最高で従四位であったのに対して、正四位という義時を上回る官位であった
大河ドラマで同じ栗原英雄が演じた真田信尹以上の策士に
北条泰時、泣き声が「ぶえ~い!」(武衛~)
「ぶえ~い!」(武衛~)
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りくの目つきと北条の跡目争い
北条の跡目は義時か、北条時房か、北条政範(りくの産んだ子)か
伝説の幕開け
無中生有
後白河法皇を人質にとった木曾義仲。その木曾義仲と源義経の激突が次回「伝説の幕開け」で描かれます。
三十六計の第七計『無中生有』
孔明が採った「無中生有」
<状況>
- 野外フェスで斜め向いのブースと観客を取り合う必要があった
- 斜め向いのブースで演奏するバンドには集客力のある曲があった
- そのバンドは翌日も単独ライブの予定があった
<計略>
- 機材故障を装い、向かいのバンドを油断させ、集客力のある曲を翌日に温存させる
- 向かいのブースがMCに移ったタイミングで、派手な照明と魅力的な演奏を行い、客を一気に奪う
源義経はどのようにして、木曾義仲を油断させて後白河法皇を奪還するのか?