1.壇ノ浦の戦い | 頼朝、梶原景時を総大将に任命するが、現地の判断で義経が総大将に。義経と梶原景時の諍いは両者の茶番 |
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2.壇ノ浦の戦い後 |
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3.梶原景時の暗躍 | 梶原景時、義経を鎌倉に入れてはいけないと頼朝に進言。頼朝、景時の進言を受け入れる |
4.腰越状 | 義経、宗盛の代筆で腰越状を提出するも、かえって頼朝の怒りを買う |
5.大江広元の策 | 義経を鎌倉に戻したい、義時は大江広元に相談。大江広元が義経を受領にする策を出す → 後白河法皇に見破られる |
6.阿野全成の策 | 阿野全成が亡父義朝の供養を口実に義経を鎌倉に呼び戻す策を出す → 後白河法皇に妨害される |
7.源行家の奸計 | 行家と里が、義経を襲わせる(偽装)。義経、頼朝追討を決意 |
8.義経失踪 | 頼朝、義経追討を決意。義時、義村の協力を得て、鎌倉をまとめ上げる。義経、兵が集まらず挙兵を断念して失踪する |
9.時政、京都守護に | 義時、京都守護として上洛する時政に随伴。頼朝追討を出した後白河法皇を責めて、畿内。西国に守護地頭設置を認めさせる(文治の勅許) |
10.衣川 | 義時、義経と奥州藤原氏の討伐を画策。奥州入りして、藤原氏に義経討伐をさせて、逆にそれを口実に奥州藤原氏を攻め滅ぼす策略を実行する |
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18回『壇ノ浦で舞った男』
18話のトピック
- 屋島の戦い。義経の名声があがる事を頼朝が警戒
- 傷心の大姫。八重のもとでも癒えず
- 壇ノ浦の戦い。安徳天皇救出、三種の神器奪還ならず
- 義時、義経を説得。義経、鎌倉行を決意
- 梶原景時、義経の危険性を注進。頼朝は義経を追い返す
- 後白河法皇の策略
- 源頼朝の猜疑心
- 梶原景時の考え
源頼朝の猜疑心
自身の地位保持の脅威となる木曽義仲や甲斐源氏など同族を粛清してきた頼朝。義経に対しても同様の脅威を感じる。
嫡男、万寿(頼家)が生まれた事による、後継者をめぐる猜疑心。そういう面では豊臣秀吉の秀次粛清に似ているか。
頼朝は、長年流刑の身であり、自分の安全保持には敏感であったと考えられる。周囲の誰が味方で、誰が脅威か常にアンテナを張り巡らせていたと考えられる。自分の地位に自信を待ちだした、この辺りから、自分が亡き後の子供たちの事も考え出した。
頼朝も秀吉同様、子供の事を考えて、身内を粛清するが、結局子供たちは滅ぼされるという皮肉
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感情的では無かった梶原景時
俗説では、義経と感情的な対立から讒言をしたと伝えられる梶原景時ですが、ドラマでは自身の好き嫌いではなく、大局的な見地から、武家政権にとっての脅威として義経排除に動きました。
正に「狡兎死して走狗烹らる」
この先、私は誰と戦えば良いのか(by 義経)
19回「果たせぬ凱旋」
19話のトピック
- 伊予守任命で義経を鎌倉に戻そうとするが後白河法皇が上手で失敗
- 父・義朝の供養で鎌倉に戻そうとするが後白河法皇が上手で失敗
- 源行家、妻・里の奸計で義経が鎌倉と決別を決意
- 頼朝と義時、義経討伐の決意固める
- 義経が挙兵に失敗。失踪する
- 北条時政が京都守護に。後白河法皇を責め立て「文治の勅許」を得る
鎌倉による天下泰平を実現するには、奥州藤原氏を討つ必要がある。源義経は、奥州藤原氏の事を第一に考えており、その阻害要因となる為討つ必要があった。
良い箱作ろう鎌倉幕府
「イイハコ」説の限界
- 認められた権利は義経追討のための時限的なもの
- その為、義経追討後は地頭の設置は制限される
- そもそも守護や地頭の権限も今の常識とは異なる
- 東北地方は奥州藤原氏が支配している
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1189年説
<全国を支配下に置いたことを重視した場合>
1189年:奥州合戦で藤原氏追討
御家人を完全統制下においた
不参の御家人の所領を没収するなど、鎌倉幕府の御恩と奉公に基づく封建体制が完成したと言える。これに比べると1185年は全国支配の足掛かり程度と言える
1180年説:頼朝の鎌倉入り
1183年説:寿永二年十月宣旨
1184年説:公文所(のちの政所)、問注所の発足
1190年説:日本国総追捕使・総地頭就任
1192年説:征夷大将軍就任(でも辞任している)
1221年説:承久の変
「1180年説」「1183年説」「1184年説」は地方政権を”幕府成立”とみなす考え方であり、奥州藤原氏や木曽義仲と何が違うねん?的な疑問が拭えない。全国を支配した武家政権と言う部分に重きを置けば、「1189年説」、「1192年説」「1221年説」の何れかになるのではないだろうか。因みに1190年説:日本国総追捕使・総地頭就任は、事実関係に疑問が投げかけられているので除外してます。
時政、暗躍の兆しなし
20回「帰ってきた義経」
20話のトピックス
- 義時、平泉で工作。藤原氏に義経を討たせて、それを理由に藤原氏を滅亡させる奸計を推進
- 義時、藤原泰衡を脅すが、義経に逆心無しと言われる
- 義時、義経に対して鎌倉への恨みを焚きつける
- 義時再度、藤原泰衡を脅す。泰衡が義経を討つ決意を固める
- 義時、衣川で義経の本心をきく
- 義経の首が鎌倉に届けられる
北条義時も源頼朝や大江広元バリの策略を施します。義経には見破られますが。
善児のリストに追加
(追加一人目)義経と静の間に出来た男児
(追加二人目)藤原頼衡(藤原秀衡の息子。泰衡の弟)