【29話のトピックス】
- 三浦義澄、安達盛長が鬼籍に入る
- 北条時政が従五位下、遠江守に任官
- つつじが善哉(=公暁)を産み、三浦義村が乳母夫になる
- 時政とりくが全成に頼家呪詛を依頼
- 頼家が征夷大将軍に任官
- 北条頼時が泰時に改名
- 頼家が後継を一幡に決める
梶原景時の変後の勢力図
建仁の乱
梶原景時滅亡後、景時を慕う城一族が「建仁の乱」を起こしますが鎮圧されます。
善児の運試し
善児は「運試しをされた」と解釈したようです
13人の勢力
後継ぎが後任の13人に補任されたわけではありませんが、後継ぎも含めて北条側、比企側、中立でそれぞれ色分けしてみましょう
北条時政 | 北条 |
---|---|
北条(江間)義時 | 北条 |
三浦義澄→三浦義村 | 北条 |
和田義盛 | 北条 |
安達盛長→安達景盛 | 北条 |
比企能員 | 比企 |
大江広元 | 中立→北条 |
二階堂 行政 | 中立→北条 |
三善康信 | 中立→北条 |
八田知家 | 中立? |
足立遠元 | 中立? |
梶原景時 | 『梶原景時の変』で謀殺 |
中原親能 | 三幡の病死で出家。鎌倉を離れる |
実際、有力御家人で比企に味方した者は無く、『比企能員の変』後に連座させられた者も、比企能員の舅などごくわずかです。
安達景盛の場合は、反比企というより、反頼家でしょうか。結果的に敵の味方は敵と言う事ですが。
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北条氏と比企氏の勢力比較
静岡県一帯が北条の勢力圏
北条時政が、従五位下&遠江守に任官しましたが、この時点では、駿河・遠江・伊豆(現在の静岡県全域)を勢力下に収めていたと思われます。
駿河の守護は甲斐源氏の一条忠頼であったが、木曽義仲謀殺の際に一条忠頼も謀殺された

そして「鎌倉殿の13人」では描かれませんでしたが、同じ甲斐源氏の遠江守護・安田義定も誅殺されて、そのタイミングで遠江守護も北条時政になったと考えられています

工藤祐経が治めていた伊豆の伊東は、海を隔てて、鎌倉からほど近く、経済的にも軍事的にも要衝だった為、北条が鎌倉幕府の地理的な急所を抑える事となる
全てが、時政が計画した陰謀だとすると、時政は稀代の策士と言う事になる。時政の陰謀説をとる歴史家も多いが、「鎌倉殿の13人」では、時政の計画的な謀略ではなく”結果論”としている
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家格が突出する北条
時政は源氏一門以外で初めて国司(守)となりました。また、従五位は政所の別当になるために必要な位階であり、北条家が家格では御家人の中で突出した存在となりました。
頼朝の義父という事以外に決め手となる定説はありません。諸説ありますが、例えば時政の祖父(或いは父)時家が都の軍事貴族出身で都での人脈があったなどの説があります。
大盤振る舞いの語源にもなった儀式。御家人が将軍をもてなし、主従の結びつきを再確認する事で、ご恩と奉公の関係をより強固にする意義がある
正月の「垸飯(おうばん)」は「歳首の椀飯」と呼ばれて尤も大事な行事で、元日に担当する御家人は、事実上の御家人筆頭と認識された
頼朝存命時は、頼朝の義父として、鎌倉殿の外戚と言う別格の扱いであったが、頼朝亡き後は、他の御家人同様に家来扱いになった(格下げされた)という見方もあります。
一幡が鎌倉殿になる前であれば、鎌倉殿と比企氏の間に血縁はないが、一幡が鎌倉殿になれば、鎌倉殿の外祖父の座も比企に奪われてしまう。そうなってからでは巻き返しは難しいから、時政にとっては頼家の後継者が決まるまでの時間との勝負になる
比企の勢力
本拠:武蔵国北部(現在の埼玉県比企郡辺り)
上野(現在の群馬県)守護、信濃(現在の長野県)守護、そして北陸道鎌倉殿勧農使(一族の比企朝宗)として北陸に一定の勢力がある。
御家人として突出した家格を持ち要衝を抑えている北条氏と、北関東・北信越に大きな勢力圏を持つ比企氏の争い
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但し、肝心の頼家が御家人たちの間で評判が悪く、それが比企の支持を減らす事に繋がっている
北条頼時から北条泰時に
創作された改名の経緯
北条頼時が北条泰時と改名した事は史料で明らかでしたが、その経緯は不明でした。「鎌倉殿の13人」では、三谷幸喜が創作してその経緯をドラマチックなエピソードに脚色しています。
改名した経緯:頼家の命令(泰時は不服)
改名した理由:頼家が同じ泰時に”頼”の字を使わせたくなかった
そういう意味では「富士の巻狩り」のエピソード同じように、源頼家が追放されて、北条泰時が実質的な武家の棟梁になる事に納得性を持たせるファクターになりました
オーディエンスがこういう反応をすることを意図したエピソードでしょう
吾妻鏡にある逸話
事実かどうかはわかりませんが、頼家の蹴鞠を諫めた話も、農民にコメを分け与えた話も『吾妻鏡』に記載があります
概ね、当時の日記にも人格者の様に書かれていますので、多少は誇張があるかもしれませんが仁徳のある人物と言うのは事実の様です
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時政の陰謀は呪詛だけか?
武蔵留守所惣検校職
実際のところはわかりませんが、当初、比企は本拠にしている武蔵国の国司(平賀義信)と武蔵留守所惣検校職(河越重頼)を比企尼の娘婿にすることで自分の陣営に取り込んでいました。しかし、この時点では、両方の役職者とも北条時政の陣営になっていました。
武蔵国では大雑把に言って、行政権を国司(武蔵守)、軍政権を武蔵留守所惣検校職が掌握しています。
武蔵留守所惣検校職は、比企尼の次女の婿である河越重頼でした。しかし、重頼の娘「さと」が、義経の正室であったことから、義経を討つときに連座で河越重頼も誅殺されて、武蔵留守所惣検校職は、畠山重忠が継承しました。
武蔵留守所惣検校職が比企尼の娘婿から、北条時政の娘婿に
武蔵守
そして武蔵国の行政権を掌握する武蔵守は、この時点で平賀朝雅でした。
平賀氏は源義家の弟新羅三郎義光の血統で、源氏一門です。平賀朝雅の父、平賀義信は、頼朝時代は源氏一門(門葉)の首座に位置し、行事の際の席次も頼朝の弟たちより上座でした。武蔵守は、頼朝時代に平賀義信が任官して、その後、平賀義信の息子たちに継承されました。
平賀義信は比企尼の娘婿となりますが、その子どもの平賀朝雅は北条時政とりくの間に出来た娘を室として、時政の娘婿となります。
\第七次出演者発表/#平賀朝雅(ひらが・ともまさ)
北条の娘との結婚が悲劇を呼ぶ#鎌倉殿の13人 #源氏 #山中崇 pic.twitter.com/YKQLVmTdbW— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) June 8, 2022
時政陰謀家説をとるとこれらの事が、全て北条時政の深慮遠謀に見えてくる