「悪い根を断ち切る。この私が」
遂に比企能員との対決を決意した北条義時。
【30話のトピックス】
- 阿野全成が謀反の咎で誅殺される
- 領地再分配政策で頼家と有力御家人の対立が決定的になる
【頼家が御家人たちの信頼を失う三大失策】
- 三左衛門事件
- 安達景盛の妻強奪事件
- 領地再分配政策
阿野全成謀反の真相
史料上の全成誅殺の経緯
- 1203年5月19日 頼家の命により武田信光(武田信義の子)が全成を捕縛する
- 1203年5月20日 頼家は実衣も拘束しようとするが政子に拒まれる
- 1203年5月25日 全成は常陸国に配流となる
- 1203年6月23日 頼家の命により八田知家が全成を誅殺
比企能員が前面に出ている理由は、恐らく、北条と比企の対立を際立たせ、主人公である北条義時が比企能員と対決する事に納得性を持たせる意味があるのだろうと推察します
チラつく実朝擁立
よくわかりません。謀反の計画自体が、頼家によるでっち上げの可能性もあります。但し、梶原景時の変でも、千幡(源実朝)を鎌倉殿にしようとする企みは、頻繁にチラついていますので、実際に計画があり、千幡(源実朝)の乳母夫である阿野全成が首謀者の一人である可能性も捨てきれません。その場合、謀反の企てが阿野全成の単独ではリアリティが無いので、北条氏がバックにいると考えるのが自然だと思います
「鎌倉殿の13人」でも『吾妻鏡』同様に頼家の近臣が実衣を捕縛しようとするが、政子に遮られる。
「実衣を捕縛する」という頼家の命令が、政子によって再び覆される
義時の仲間集め
比企との対決に備えて、義時が行ったのは”仲間集め”でした
まず最初に義兄弟の畠山重忠。そして竹馬の友三浦義村と、その同族の和田義盛。
領地再分配
拙速すぎ
有力御家人たちの治承・養和以後の新恩の所領で500町を超えた分を召し上げ、所領の少ない御家人たちに分け与えるという政策
格差是正はいいですが、そもそも働きに対しての褒美だったわけで、これでは働く気を亡くしますね
大きすぎる御家人たちの力を削ぐ(中小御家人たちに活躍の機会を与える)という行為は、政権を安定させるために室町時代の将軍や江戸時代の幕閣も行っていた。その目的はいいとして、拙速に且つ一律に行うと抵抗勢力の反発が大きくなる。やり方があまりに稚拙だった。
足利義満のケース
【足利義満が将軍を継いでから権力を掌握するまでの過程】
- (1369年)南朝が支配する九州に今川貞世(了俊)・大内義弘を派遣して南朝を弱体化させる
- (1378年)将軍直轄の軍事力である奉公衆を整備する
- (1379年)「康暦の政変」で反管領派の斯波氏を利用して、自らを操ろうとする管領・細川頼之を一時的に失脚させて自立する
- (1389年)「土岐康行の乱」土岐氏の内紛につけ込んで土岐氏を弱体化
- (1391年)「明徳の乱」山名氏の内紛に乗じて山名氏を弱体化
- (1395年)九州探題・今川貞世を罷免
- (1399年)大内義弘を挑発して討伐
『ローマは一日にして成らず』ですね
細川氏と斯波氏の対立は、北条氏と比企氏の対立に似ているので、これを利用して自立して権勢を高めた足利義満は、源頼家よりは数段優秀と言えるでしょう
頼朝も似たようなことをやっていますが。
足利義満はわずか10歳で家督を継いでいますし(将軍になったのは12歳の時)、当時は南北朝時代で、統一もされておらず幕府の存在も不安定だったので、頼家の方がまだ環境的に恵まれているといえるでしょう。
足利義満と比較すると、源頼家のダメさ加減が目立ちます
阿野全成亡き後の話
実朝の乳母夫は誰になる?
北条時政があとを受けて乳母夫になりました。
全成の子孫
京都で僧として修業中の三男は頼家・比企能員一派に殺害されます。四男が跡を継ぎますが、こちらは実朝暗殺後に(頼朝の血筋根絶やしを狙った?)義時に殺害されます。それでも、その子どもたちが跡を継いで、南北朝ごろまでは続きますが、いつの間にか歴史からフェードアウトしてしまいます。一説によると、嫡流は新田義貞に滅ぼされたと言われています。ただ、女系は公家に嫁いで公家としての阿野家が興り、そこから阿野廉子(後村上天皇の母)が産まれています。こちらの阿野家は、明治維新後は、子爵となりますが、太平洋戦争で子爵とその子が戦死して断絶しています。
北条家の内紛
北条政範で揉める?
実は北条家にも内紛の芽が在って、時政の後継ぎ、北条家の嫡流はりく(=牧の方)が産んだ北条政範という流れになっていました。当然、政子や義時は不満があったものと考えられます。
義時は”江間”という分家の傍流に追いやられる

比企能員はここを衝いて義時を仲間にしようとするが・・・
義時は、比企能員との対決の決意を固める
比企能員の変
『吾妻鏡』の展開と疑問点
次回はいよいよ「比企能員の変」ですが、ここで参考までに『吾妻鏡』に記載されている展開を確認しましょう
- 7月20日、源頼家が急病で倒れる
- 8月27日、頼家が危篤であると判断がなされ、関西三十八カ国の地頭職は弟の千幡に、関東二十八カ国の地頭職並びに諸国惣守護職が一幡に継承と決まる
- 9月2日、分割相続に納得できない比企能員がせつ(=若狭局)を通じて病床の頼家に北条時政討伐を訴える。頼家は病床に比企能員を招き時政討伐の承諾を与える。
- これを政子が障子の影から立ち聞きして、時政に伝える(孫が自分の討伐を指示した事に落涙したとも)
- 時政は大江広元に能員征伐を相談。広元は渋々同意する
- 時政は仏事を理由に能員を自邸に招き、謀殺する
- 比企一族が立て籠もり、これを謀反と見做した政子の命令で北条義時が軍を率いて比企一族を滅亡させる。せつ(=若狭局)と一幡もその場で焼死する
- 9月3日~4日、比企与党の探索、処断が行われる
さあ、『鎌倉殿の13人』ではどのように描かれるのでしょうか
ダークヒーロー義時誕生!
予告編で比企氏討滅の為に比奈を利用する義時とそれに反発する泰時が描かれました。一幡の助命を嘆願する政子。それに対する義時の返答は・・・?
せつと一幡の命を奪うのは果たして誰か・・・
善児か、トウか、それとも・・・。