今回登場したのえ(伊賀の方)は非常に裏表のある女性として描かれました。まずは、その実像に迫ります
のえ(伊賀の方)
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なぜ伊賀氏なのか
のえ(伊賀の方)の父、伊賀朝光は、藤原北家藤原秀郷の流れをくむ一族でした(元は藤原を名乗っていた)。朝光が伊賀守に任じられて以降、伊賀氏を称しました。
子どもたち
のえ(伊賀の方)と義時の間には男子が二人誕生します。政村と実泰です。この二人の名前に注目。政村は、北条時政と三浦義村から一字偏諱を受けています。それに対して実泰は、源実朝と北条泰時から一字偏諱を受けています。
北条政村は、大河ドラマ「北条時宗」では伊東四朗が演じました。
政村はこの後も、連署や執権に就任して、北条家の主流となります。実泰の方は精神を病んだようで、自傷行為を繰り返した後、出家して、子供が跡を継ぎます。子孫は”金沢”を名乗るようになります。(武家最古の文庫、金沢文庫はここから)
伊賀氏の変
「伊賀氏の変」とは、第2代執権・北条義時死亡後に、のえ(伊賀の方)が、北条泰時を排し、実子・政村の執権就任と、娘婿・一条実雅の将軍職就任を画策した、といわれている事件です。鎌倉御家人の中でも実力があり政村の烏帽子親である三浦義村が黒幕にいるとも言われています。しかし、北条政子が三浦義村を説得して、北条泰時が第3代執権になった事で、陰謀は潰えて、伊賀一族や一条実雅は流罪となりました。
なので、北条政子が、のえ(伊賀の方)に権力が移る事を恐れて、牧氏事件をマネて陰謀をでっち上げたという説もあります。
ただ、今回の34話を観る限り、のえ(伊賀の方)は一癖も二癖もある人物に描かれているので、”でっち上げ説”は採用されないと思われます
それと関係するのが次の北条義時暗殺説です
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北条義時暗殺説
のえ(伊賀の方)の娘婿・一条実雅の実兄である尊長が、北条義時はのえ(伊賀の方)が毒殺したと証言しています(藤原定家の「明月記」に記載有)。藤原定家がウソを記述する必要はなく、尊長が証言した事自体は事実であると考えられています。
翌年、一条実雅が変死(溺死と言われる)する
北条義時暗殺が事実だとすると、後鳥羽上皇が出した「北条義時追討」の院宣が実行されたことになり、鎌倉幕府としては非常に都合が悪いからです。
ドラマでは、史上初めての武家政権を護る為に非道な行いもする北条義時。最期はその報いを受けて暗殺されたという展開がしっくりくるか?
初と泰時の離縁
26話で考察した「三浦義村の権力構想」ですね
ただ、残念ながら、「伊賀氏の変」の時点では、初と泰時は離縁しています
理由は分かりませんが、離縁の経緯によっては、三浦義村が泰時から政村に馬を乗り換える可能性も否定はできません
朝廷の暗躍
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北条政範暗殺
史料上は、病死とされる北条政範が暗殺と言う扱いになりました。かねがね三谷幸喜は、「暗殺にする場合は、暗殺する側の物語が必要になる」と語っています。「鎌倉殿の13人」では、今後とも朝廷側が陰謀を張り巡らせて、事件が起こる展開が多くなりそうです。
源仲章は、実朝暗殺の折に一緒に殺害されますが、北条義時に間違えられたというのが定説です。しかし、この暗躍ぶりをみると、源仲章自身が狙われたという展開もあり得そうです。
源仲章も暗躍し過ぎて、報いを受けて誤殺された、というオチもあり得ますね。
藤原兼子
藤原兼子(シルビア・グラブ)は、後鳥羽天皇の乳母で、後鳥羽天皇が成長すると共に重用されました。土御門通親が死去した後は、朝廷の中で強い権勢を誇っています。姉は、土御門通親の妻です。兼子は養育していた頼仁親王を次期将軍に推し、実朝に実子がいないために親王将軍を望んでいた北条政子と共同歩調をとります。
頼仁親王の母と、実朝の正室・西八条禅尼(坊門信清の娘)が姉妹という関係です。つまり源実朝からみると、頼仁親王は義理の甥になります。しかし、実朝が暗殺されて、親王が将軍になる事に後鳥羽上皇が難色を示しだしたことから、藤原兼子の立場は暗転します。
畠山重忠の乱の導火線
「畠山を討って頂戴」
りく(宮沢りえ)は、平賀朝雅から畠山討伐を唆されるようです
平賀朝雅には、北条政範を暗殺する利益が無いですからね。(北条家当主の座よりも将軍の座を狙っていた)寧ろ、跡目で北条政範と利害がある北条義時の方がやりそうなくらい。
予告編を見る限りそんな感じですね。義時や時房の反対を押し切ってという風にも見えました。りく(宮沢りえ)は朝廷に操られて、北条時政はりく(宮沢りえ)の言いなり。そして、二人は、もとい、平賀朝雅も含めて三人は、破滅へ一直線という展開でしょうか。
「畠山を討って頂戴」は予告編のりく(宮沢りえ)言葉
三浦義村の野望
北条時政は、畠山重忠と戦になった場合の三浦義村の加勢の可能性を探ります。
三浦義村には畠山重忠を討つ実利は無い。ただ、古い怨恨があるだけ。勝つ方につくのが得意な御仁だけに、ここは北条に着いた方が得って判断でしょう
三浦義村にとっては、鎌倉で唯一自分に比類する陰謀家のりく(宮沢りえ)を葬る絶好の機会。