2話のポイントを整理します
- 家康が織田の人質になった経緯
- 家康の生年月日のカラクリ
- 信長と家康の関係
- 松嶋菜々子演じる於大の方のキャラ設定
家康は戸田康光に裏切られたのか?
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三河物語が信用できない理由
家康の継母にあたる真喜姫(田原御前)の父親です。家康の母、於大の方(松嶋菜々子演じる)は、水野氏の出自(水野信元の妹)です。旧来は、水野氏が今川から織田に寝返った為、於大の方は離縁されたという説が有力でしたが、最近では、松平氏と水野氏の対立から、離縁になり、松平氏が戸田氏と同盟を結ぶために真喜姫(田原御前)と再婚したという説が有力になっています
於大の方が松平広忠から離縁された理由について、水野氏が織田方に寝返った為と言う説は近年の研究で疑義が呈されている
そうですね。「戸田康光が裏切った」という話は「三河物語」という史料に書かれているのですが、この史料は徳川びいきの記述が目立ち、あまり信用できないと言われています。松平信康の切腹事件についての記述も他の史料と食い違いが目立ち、歴史家によっては、「徳川譜代によるプロパガンダ」という評価をする人もいます。そもそも「三河物語」の著者の大久保彦左衛門が、桶狭間の戦いのあった1560年生まれですから、家康が人質になった当時生まれてなかったわけですから。
今川に攻め滅ぼされます。しかし、家康は戸田康光の息子を厚遇して、その子孫(=松平 康長)に松平の姓を与えた上で、大名(信濃松本藩=戸田松平家)にしています。
家康が織田の人質になった経緯
松平と戸田の同盟に対して、一時的に織田と今川が手を結び、今川が戸田を攻めて、織田が松平を攻めた。織田に攻められた松平が降伏して家康を人質として織田に送ったという説が唱えられています
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家康と信長
ドラマでは家康が織田の人質時代に、信長と面識があったとされていますが、これは可能性はありますが、証拠はありません。
ええ。でも物理的には近い距離に住んでいましたし、行き来できる環境なので、面識があっても不思議はありません。なので、フィクションでは「面識があった」とする作品が多数あります。時代考証的にも否定する材料もありませんし、面識があった方がドラマチックですからね。
徳川三傑
榊原康政
実際の所はわかりませんが、あんな感じでも不思議はありません。榊原康政の父は、松平家の陪臣(家臣の家臣)でしかも、榊原康政は次男でした。
徳川三傑のうち、本多忠勝は譜代の家柄だが、榊原康政と井伊直政は家康の代からの直臣。
通常、譜代と言えば先祖代々の家臣の事ですが、徳川の譜代の定義は広いですからね。家康にとっての榊原康政と井伊直政は、秀吉にとっての加藤清正や石田三成と同じような関係性かもしれません。ちなみに榊原康政自身には譜代の家臣のような存在はいませんので、家康の関東転封に伴い10万石の大名になった際には、領地経営に必要な家臣を家康の家臣から譲り受けています
松平昌久
2話では敵役として松平昌久が登場しました。十八松平の一つ、大草松平家の四代目です。実は、桶狭間の合戦では家康配下の孫が丸根砦で討死しています。また、大草松平家は、元々岡崎城を本拠にしていて、岡崎松平家と称していました。が、父の代で、家康の祖父に岡崎を奪われています
しかし、曾孫の松平康安は武功もあり、取り立てられて、大番頭となります。子孫は、駿河大納言忠長の家臣になりますが、忠長改易後、水戸藩の家老になります。が、三代後には後継ぎなく絶家となり、大草松平家は滅びます
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於大の方
家康の生年月日
家康の生年月日について、史料によって二説ある事を利用したエピソードが展開されました
昔から、神話の為の作り話だろうといわれていましたね。
於大の方は野心かなのか?
それも含めて、於大の方が中々の野心家に描かれました。
歴史フィクションでは、於大の方は、どちらかと言えば、出来た女性や薄幸の女性として描かれることが多いですが、「どうする家康?」では、かなり肉食系の野心家に描かれるようですね
この作品の於大の方のキャラ設定は、兄である水野信元の事件、松平信康の切腹事件、石川数正の出奔事件などに絡ませてくる可能性は否定できませんね