徳川家康と言うのは歴史上著名な人物ですが、その分、ある程度出来上がったイメージがありますね。視聴者が固定観念で持っている人物イメージと異なるイメージで描いた場合、どうなるかは中々興味深い所です
家康と瀬名のイメージ
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マイホームパパ家康
歴史上の人物の評価は、時の流れと共に変わるものですが、「どうする家康」の家康像は、新たな史料による人物像の変化と言うより、歴史上の人物を現代の類型に当てはめたという感じでしょうか。家康は側室も多く、婚外子もたくさんいたので、マイホームパパの類型に嵌めるのはかなり無理があると考えられます。築山殿以外に正室を持たなかった事に重きを置いたのかもしれませんが、そこはドラマと割り切って観るべきなんでしょうね
その方が、視聴者にとって、分かり易い・共感し易いというメリットがある為でしょう
家康をマイホームパパにするのは、歴史上の事実からはかなり無理が有りそう。だが、ドラマと割り切って観ましょう
純真な瀬名
瀬名(=築山殿の事、ドラマに準拠して瀬名)も、高飛車、気位が高いという固定観念がありましたが、愛情に溢れる純真な女性として描かれました。ただ、瀬名の場合は史料に乏しく、どちらの人物像がより実際に近かったのかは、わかりません
そうですね、従来の固定観念によるイメージは逆算の論理だとは思います。ただ、瀬名の事を素晴らしい女性に描き、家康との夫婦仲も円満に描くと、後の築山殿事件をどう描くのか興味が尽きないですね。
築山殿が良妻→悪妻になるという可能性はかなり低そうなので、アクシデント的なものにするか、信長或いは信康、徳姫をかなり悪く描くか、そう言った可能性がありそうですね
瀬名(=築山殿の事)の描き方は特徴的。後の築山殿殺害の悲劇性を高める意図か?
今川義元は名将
あと、最近の兆候ではあるのですが、今川義元は名将、一廉の人物に描かれることが多くなっています。
そうですね。「街道一の弓取り」と称されたり、『仮名目録追加21条』を制定したり、内政外交で高い手腕を発揮しているのは事実ですからね
信長、秀吉は悪く描かれる?
反面、家康を主人公にすると、織田信長や豊臣秀吉は悪く描かれがちなので、信長ファンや秀吉ファンは鬱屈する日々を送る事になるかも
織田信長や豊臣秀吉を悪くしないと、家康を擁護できないからでしょうね
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今川の人質
松平元信
徳川家康は名前をコロコロ変えていますが、物語は「松平元信」と名乗っていた時点から開始されました。
松平竹千代(幼名)→ 元信(初名) → 元康 → 家康 → 徳川家康
偏諱と言うお話が出ましたが、松平元信の”元”も、今川義元からの偏諱ですね。
”信”の字は、松平家では由緒のある文字です。家康は松平家9代目にあたりますが、初代、二代目は系図が粉飾されたと言われており、存在が確かではありません。実質三河で勢力を伸ばしたのは三代目と言われており、この三代目が松平信光です。この信光の”信”にあやかったものと考えられます
ですが、松平家と言うのは分家がおおく、俗に十八松平(数は書物によって多少前後する)と呼ばれています。家康の松平家もその一つに過ぎません。
十八松平
竹谷松平 | 形原松平 | 大草松平 |
能見松平 | 長沢松平 | 五井松平 |
深溝松平 | 岩津松平(宗家) | 大給松平 |
西福釜松平 | 矢田松平 | 滝脇松平 |
安祥松平(家康の家系) | 福釜松平 | 桜井松平 |
東条(青野)松平 | 藤井松平 | 三木松平 |
家康が松平の盟主に成れたのは北条早雲のおかげ?
一般的には、今川家が三河を攻めた時に岩津松平が没落した為と考えられています。そして実質的に家康の家系である安祥松平がトップになったようです。
これは1508年の出来事なので、物語開始時点(1556年)の50年前の出来事になります。この時、岩津松平を攻めた時の今川の総大将は伊勢宗瑞(後の北条早雲)と言われています。
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桶狭間の戦い
今川軍2万5千は事実か
今川義元は、織田勢に包囲された大高城救援の為、2万5千の兵を率いて出陣。松平元康は先鋒と大高城への兵糧入れを命じられました。
「信長公記」には4万という数字がありますが、軍記ものは軍勢数を誇張する事があるので、2万5千という数字を採用したのでしょう
石高だけで動員兵力を決めつけるのはキケンですね。経済力と人口がベースになりますが、今川領は、商業・漁業もあり、金山もあったので、財力があり、石高以上の動員兵力があっても不思議ではありません。特に『仮名目録追加21条』の制定で寄親寄子による大量動員が可能になっているとも考えられます
家康と井伊直盛
家康は先鋒を命じられますが、遠江の井伊直盛も同様に先鋒を命じられます。この時、家康は大高城への兵糧入れを命じられて、大高城にて義元を待つことになります。
尚、井伊直盛は「おんな城主 直虎」の井伊直虎の父です。
そうですね、ここが徳川家と井伊家の大きな分かれ道でしょうか