呪術廻戦制作時の人脈が活かされたのか、呪術廻戦2話・9話・17話などの総作画監督小磯沙矢香も原画で参加している。京アニ的な魅力とMAPPA的な魅力がミックスされたエピソードとなってます。
平家流るる
静御前
静御前cvは水瀬いのり
びわは、静御前達から、母らしき人が丹後(京都府の日本海側)にいると聴き、同行して逢いに行くことにする
川で水浴びをする静たちの描写
その様子を見て、びわはかつての維盛たち3兄弟を思い出す
びわの回想シーン
裾を絞ったりする繊細な描写で、瑞々しさが見事に表現される
女性の所作を繊細に表現する
後鳥羽
大宰府の有る筑前国には、平家方の原田種直・山鹿秀遠がいた。
- STEP017月25日 都落ち平家は都を落ち果て
- STEP028月17日 大宰府到着筑前の国の三笠郡の大宰府に到着
- STEP038月20日 後鳥羽天皇践祚8月20日院宣を受ける形で践祚
後鳥羽天皇は、三種の神器がないまま天皇位につく。日本に天皇が二人いる事態となる
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大宰府落ち
緒方維義が元々重盛の家人で有った事から、清経が大ショックを受けて、精神的に不安定になる
(清経)かつては父上に仕えておられた方まで、我ら平家を討つと?
(資盛)それが世の中という物だろう。強い方につかねば自分が痛い目をみる
(清経)だとすれば、誠実性や実直性や恩義という物は意味をなさぬではありませんか
(資盛)我ら平家のそれがあったと?
暗くなりがちな女御たちをポジティブにする”笑顔”
↓
心配げな安徳天皇を元気づける”笑顔”
↓
母としての強さか、または何かに憑りつかれているのか
網にかかった魚
(清経)歩く?いつまで歩けば?どこまで?誰もが源氏につき、裏切り、我らは網にかかった魚も同然・・・
身投げをする清経の前を一羽の鳥が横切る
清経は何に手を伸ばしたのか
右目で清経の最期を観たびわは、丹後の海で走り出して絶叫する
清経の笛をすくい上げる敦盛
清経と雄々しく潔く一緒に戦おうと誓った敦盛。清経の笛をすくい上げるが、この笛と誓いが呪いとなって敦盛を悲劇へと導く
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この後、平家は知盛の知行国長門から援助を受けて、立て直し、屋島(香川県高松市)に本拠を置き、京奪還を狙う。
びわの母
母親との対面で緊張するびわ。それを面白がる静、月、あかり。
それは、祈りを込めて琵琶を弾く事
(びわ)びわも祈っておる。おっ母がここで静かに暮らせること。どうか、どうか、お達者で
木曾義仲の破滅
義仲破滅への道のり
- STEP011183年5月11日倶利伽羅峠の戦い倶利伽羅峠にて平家軍10万の大軍を破る。
- STEP021183年7月28日入京源行家と序列を争う。
- STEP031183年8月皇位継承問題に介入次期天皇に北陸宮推挙。皇族・貴族から不興を買う
- STEP041183年10月1日水島の戦い平氏追討に向った義仲軍が備前水島(岡山県倉敷市玉島)にて平家軍に大敗
- STEP051183年10月14日寿永二年十月宣旨後白河法皇と源頼朝が連携。反義仲勢力が蠢動。後白河法皇による圧迫が明白になる。木曾義仲平安京に取って返す
- STEP061183年11月19日法住寺合戦木曾義仲、軍事クーデターにより、反義仲勢力を一掃。後白河法皇・後鳥羽天皇を幽閉して政権を掌握する。
- STEP071184年1月宇治川の戦い鎌倉の追討軍を迎え撃ち討死。
皇位継承問題
実際には、後白河法皇は平家の血を引く安徳天皇の系統は廃したかったと推察できる。その上で、自分にとって都合の良い幼帝を立てて、人事などを好きにやりたかった。(実際に院殿上除目で院近臣を次々にポストにつける)
<皇位継承者候補>
- 三之宮(惟明親王)
- 四之宮(尊成親王)
- 北陸宮
三之宮と四之宮は高倉上皇の皇子。北陸宮は以仁王の王子。
木曾義仲は北陸宮を推挙した。天皇の皇子が二人もいるのに、以仁王の王子が継承者になる事は伝統を重んじる朝廷では常識外れであった。また、皇位継承者問題に武士が口を出したことも後白河法皇より嫌われる一因となった。
木曾義仲は、皇位継承者問題に口を出して、後白河法皇との関係が悪化する
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水島の戦い
平家物語でも本作中でも平家軍の総大将は知盛となっているが、史実的には重衡が総大将。
平家軍は、船と船の間に板を渡すことにより、軍船同士をつなぎ合わせて安定した戦いをした
金環食と船を繋ぐ板
水島の戦いの敗戦により、木曽義仲を見限る動きが武士の間からも出てくる
寿永二年十月宣旨
皇位継承者問題に口を出すだけでなく、京の治安維持にも役立たない木曽義仲を見限った後白河法皇が源頼朝に助力を求めた。源頼朝は、見返りとして、①北陸・東海道・東山道の行政権承認②源頼朝の罪人の身分を解く、を要求します。
後白河法皇は、この要求のうち、北陸の行政権以外の要求を受け入れて、両者に妥協が成立します。
平家や木曾義仲に代わる新たな武力の後ろ盾を得る。それにより京の治安維持や税収の確保をする
皇族・貴族は、武士を見下しているが、治安の維持や強訴対策など武士の力は必要不可欠となっていた
木曾義仲に先を越されていたが、自分が武家の棟梁であるという事を印象付ける事に成功。東国の支配権も手に入れるとともに、罪人の身分からも脱して、公的な場での発言権も確保する
木曾義仲の朝廷における存在価値は暴落して、朝廷にとっても、武士にとっても不要な存在となる
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法住寺合戦
(後白河法皇の挑発)いますぐ、平家討伐に西国に向え。京に留まるなら謀反と認定する。頼朝軍と戦いたければ私戦として勝手に戦え。
『窮鼠猫を嚙む』木曾義仲は、後白河法皇の挑発に乗り法住寺を攻める
後白河法皇・後鳥羽天皇を掌中に収めた木曾義仲。しかし、人望を一層失い、兵たちは義仲のもとを去り、入京時に数万の大軍だったのが、僅か千騎になっていた。しかも、頼朝の大軍(範頼・義経)が京に迫っていた
宇治川の戦い
登場した義経cv梶裕貴
義仲討死
三すくみの状況を作れれば、頼朝軍は下手に動けなくなる
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、この情報は源義経が流したウソ情報と言う事になっています
伊子(建礼門院右京大夫)
©「平家物語」製作委員会
作中では詳しく描かれませんでしたが、ここでの登場が10話のあるシーンに繋がります。平資盛と伊子(建礼門院右京大夫)の物語はこちらに纏めます
一ノ谷の戦い
一ノ谷の戦いのアウトライン
源氏同士が相争っているうちに、平家は瀬戸内海を掌握、数万の軍勢を率いて、福原(神戸)まで進出する
<軍勢配置図>
(出典:wikipedia「一ノ谷の戦い」)
三草山の戦いは不意をついた夜襲で源氏の圧勝
総力戦の軍勢描写
戦いは、
生田口(平知盛・重衡vs源範頼):東側。双方の主力同士
夢野口(平通盛・教経vs安田義定):北側
塩屋口(平忠度vs土肥実平):西側
の三か所で行われました。南側は海。宗盛は船上で待機。
軍勢を森林の上方より撮影しつつカメラを近づけながら
騎馬武者の中を縫うように通り抜ける
平家敗走
敦盛の最期
敦盛は、清経の笛を取りに戻り、逃げ遅れる
敗走する敦盛上を飛ぶ鳥は清経の時の?
源氏側の熊谷直実に呼び止められた敦盛は戦いに応じます
武運拙く組み伏せられる敦盛。しかし、熊谷直実は、敦盛があまりに若く首をとるのを躊躇する
(敦盛)さっさと首をとれ!
(敦盛)誓ったのだ!誓ったのだ!私は武士として立派に・・・
敦盛にとっては誓いが呪いとなった
沈みゆく敦盛と横切る二羽の鳥
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきかー『敦盛』より
びわの顔から涙が飛び散る
(びわ)そなたらの事、必ずや語り継ごうぞ
実は義経のだまし討ちだった!?
後白河法皇の名前で、停戦調停をして、戦闘準備をしていない平家を源氏が奇襲したという説。
「鎌倉殿の13人」ではこの説が採用されます。
「鎌倉殿の13人」では源義経は平気で嘘をついたり、だまし討ちを平然と行うなど、罪悪感に乏しく、良心が欠如しているサイコパス系の特徴を持つ人物として描かれる